日本でおきた韓国の女性の DJ への負のできごと―正と負の行動と、正と負の反応

 日本に、韓国の有名な女性の DJ がやって来た。その DJ が、日本のお客さんに胸をさわられてしまったという。

 世界で活躍しているという韓国の女性の DJ が、日本で胸をさわられたことについてをどのように見なせるだろうか。

 DJ が胸をさわられたことについて、すごいろしゅつ度が高い洋服を DJ が着ていたのだから、胸をさわられたとしてもしかたがないとかやむをえないといったことが言われていた。

 たしかに、DJ はろしゅつ度が高い服を着ていたのはあるかもしれないが、そうであるからといって、胸をさわられてもしかたがないとは言えそうにない。

 いろいろな国で活動をしているのが韓国の DJ だということだが、いまだかつて胸をさわられるようなことがおきたためしがないという。今回の日本がはじめてなのだとのことである。

 DJ がろしゅつ度の高い服を着るのは、自由主義(liberalism)における他者の危害の原則に反していることではない。自己決定権(personal autonomy)によることだ。自分の意思によってのぞましい行動をすることなのが自律性(autonomy)だ。

 中立な立ち場から判断する思想なのが自由主義だ。その人の立ち場になってみて、その人がされたくないことはしないようにする。立ち場の反転(入れ替え)の可能性の試しをやってみるようにしたい。

 いくらろしゅつ度が高い服を着ていたのだとはいえ、お客さんが DJ の胸をさわったのは、他者の危害の原則に反することに当たる。他者である DJ に危害がおよぶ。具体の義務に反することだ。

 起きてしまったことはとり返しがつかないけど、できれば DJ の胸をさわるようなことがおきないほうがよかった。DJ とお客さんとで、もよおしをみんなで気がねなく仲よく楽しむことができたらよかった。日本と韓国との国どうしの友好の意味あいにおいてもそうであったらよかったのがある。

 起きてしまったことを見てみると、お客さんが DJ の胸をさわったのは一つの行動だ。行動とそれにたいする反応との組みで見ることがなりたつ。行動を正当化や合理化することが日本では言われているけど、それだと日本の国のあり方が低い次元のものであることを示してしまいそうだ。

 今回の DJ の胸をさわることのような、負の行動にたいして、どういう反応がおきるのかがある。行動を正当化や合理化する反応がおきるようだと、良い反応がおきているのだとは言えそうにない。日本の国のあり方が問われることになり、世界において日本がまっとうなあり方であるかどうかがうたがわれてしまう。おとっている野蛮な国なのだと見なされかねない。まっとうな国としてのあるべき反応がなされるようであればのぞましい。

 参照文献 『現代倫理学入門』加藤尚武(ひさたけ) 『日本の刑罰は重いか軽いか』王雲海(おううんかい) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫