香港の民主主義の活動家が逮捕されたことと、行動とそれが置かれる空間(意味空間)のちがい

 香港の民主主義の活動家が逮捕された。デモをそそのかしたことなどが罪だとされている。このことについてをどのように見なすことができるだろうか。

 つり合いの正義では、罪にたいして罰がくだされることになる。その二つのつり合いによる応報律がとられる。罪と罰(またはむくい)だ。国家の公が肥大化している国家主義(nationalism)の空間においては、個人の私の自由が許容されなくなる。個人の私の自由がいちじるしくせばめられてしまう。

 立憲主義(憲法主義)や自由主義(liberalism)の空間では国家の公の肥大化が抑えられていて、個人の私の自由が許容されている。その許容の度合いが小さくなるのが独裁主義によって国家の公が肥大化した空間だ。

 独裁主義によって国家の公が肥大化した空間では、個人の私の自由がせばまっている。個人にたいして国家がこれをしてはならないとかあれをしてはならないとかといった要求を多くつきつける。

 個人にたいする国家からの要求の量が最低限に抑えられているのが立憲主義自由主義の空間だ。他者に危害を与えてはならないとする他者危害原則に反しないかぎりは個人の自由だ。その最低限の線があるところに、どんどん個人にたいする国家からの要求が増えていって、線が上に上昇して行く。それで個人の私の自由が許容される度合いがせばまることになるのが独裁主義だ。

 これは許される行動で、これは許されない行動だといったちがいがある。そのあいだに線引きが引かれる。それを感じ分けて行ない分けて語り分けて行く。それらをして行く中で、空間(意味空間)のちがいがものを言う。立憲主義自由主義の空間では、個人に許されている行動の量が多い。独裁主義ではその量が少なくなる。許されない行動の数が多い。

 空間がどのようなものなのかによって、感じ分けや行ない分けや語り分けがちがってくる。個人が行動をとったさいに、それが許されるものだとして許容される反応がおきるのか、それとも許されないものだとしてとがめられる反応がおきるのかがちがってくる。

 おなじ一つの行動であったとしても、それがどのような空間において行なわれたのかによって、おきる反応がちがってくる。どのような空間において感じ分けて行ない分けて語り分けられるのかがちがう。何の問題もない行動だとして許容されることもあれば、大きな問題があるのだとしてとがめられることもある。

 中国は独裁主義によっていて、一つの国民国家だ。国民国家として一つの空間をなしているわけだが、それよりもより上位の空間として世界があるのだととらえることがなりたつ。世界の一つの部分である国民国家としての中国の空間の中においては独自の感じ分けや行ない分けや語り分けがとられることになる。それをそれよりもより上位の空間である世界として見てみたら、またちがった感じ分けや行ない分けや語り分けがなりたつ。

 中国のような独裁主義の国民国家には、その空間がもつ構造があるわけだが、それとはちがう世界における立憲主義自由主義の空間の構造もある。それぞれがそれぞれの感じ分けや行ない分けや語り分けをもつ。その中で、独裁主義の空間の中においてはそれが当然のことだとされていることであったとしても、そのことをそれよりもより上位の空間である世界において見てみれば当然のこととは言えずまちがっていることがある。

 独裁主義の国民国家が、その内部にいる個人にたいして問題だと見なす行動がある。それで個人の私にたいして排除の暴力を振るう。それは国民国家の虚偽意識によっている。国民国家が個人の私にたいして排除の暴力を振るうことを防ぐために立憲主義による憲法がつくられている。立憲主義に照らし合わせてみれば、国民国家が個人の私にたいしてどのような行動をすると罪に当たるのかが記されている。

 個人の私がもつ基本の人権ができるだけ守られるようにすることが立憲主義ではとられている。個人の私がもつ人権を守るようにする点からするともっとものぞましいものだと言えるのが立憲主義だから、それによって国民国家が個人にたいしてどのような行動をするとよくないのかを見て行ける。

 個人の人権を守ることを重んじる立憲主義による空間があり、その空間において国民国家がどのような行動をしたらよくないのかがあり、それを無視することはできづらい。これは法などによる文化の力(soft power)によるものだが、この文化の力をできるかぎり高めるようにして行き、それによって個人の私が不当に国民国家によってしいたげられないようにして行きたい。文化の力の空間によって、国民国家の内部に閉じこもらずに、国境の人為の境界線を超えて超国家として見て行く。それで国民国家のよくない行動を見るようにしていって、そこから国民国家にたいして批判が行なわれるようであればのぞましい。

 参照文献 『日本の刑罰は重いか軽いか』王雲海(おううんかい) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫憲法という希望』木村草太(そうた) 『公私 一語の辞典』溝口雄三 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『空間と人間 文明と生活の底にあるもの』中埜肇(なかのはじむ) 『ぼくたちの倫理学教室』E・トゥーゲンハット A・M・ビクーニャ C・ロペス 鈴木崇夫(たかお)訳