政治家の真意が伝わらないのはなぜなのか―のぞましい真意の伝え方

 真意が伝わらなかった。差別のことを言っていて、それを批判されている自民党の政治家はそう言っている。

 差別するつもりはなかったとか、また、差別していたとしてもそれを反省しているけど、それらにまつわる自分の真意が伝わらなかった。批判されている自由民主党の政治家はそう言っているけど、それはほんとうなのだろうか。

 伝える点では、真意を伝えるのと、真意が伝わらなかったことを伝えることに分けられそうだ。真意を伝える伝え方や、真意が伝わらなかったことを伝える伝え方がありそうだ。それらで、まともな伝え方をするようにしたい。

 真意が伝わらなかったことを伝えるさいの、その伝え方では、一部と二部の構成がある。一部の構成だと、たんに主張をぶつけるだけだからよくない。二部の構成による伝え方であることがいる。

 二部の構成の伝え方は、根拠と主張の二つからなるものだ。二部の変形としては、三角(形)の論理があり、根拠と論拠(隠れた根拠)と主張、などといったものだ。三角の論理は西洋の文化だ。

 どういったことを伝えるのであるのにせよ、一部ではなくて二部の構成にすることがのぞましい。そうしないと、一部の構成になってしまい、主張をぶつけるだけになり、根拠が欠けたあり方になってしまう。

 真意が伝わっていないことを伝えるのでは、それを二部の構成で伝えるのなら、こういったふうになるだろう。根拠としては、自分はこういう真意をもつ。その根拠があるけど、それが伝わらずに、ちがうふうに伝わったのだとする主張になる。

 差別をしていたことが批判されている自民党の政治家の言っていることを、二部の構成にしてみて、それで見てみると、根拠と主張のどちらもがうたがわしい。根拠もうたがわしいし、主張もまたうたがわしいのである。

 自民党の政治家が、これが自分の真意だとしていることは、ほんとうの真意ではないうたがいが小さくないから、根拠をうたがうことがなりたつ。根拠がたしかではないから、主張もまたぐらぐらとしたものになり、頭からうのみにすることができないものになる。

 批判を受けている自民党の政治家の言っていることは、真意を伝えるのにしても、真意が伝わらなかったことを伝えるのにしても、どちらにしても伝え方にまずさがある。伝えるさいには、一部の構成ではなくて、二部の構成にすることがのぞましいから、できるかぎり二部で伝えるようにしないとならない。伝えるさいに構成にまずさがあるから、批判を受けている自民党の政治家の言っていることは、そもそも伝えることにまともに成功しそうにないものだろう。

 参照文献 『うまい!日本語を書く十二の技術』野内良三(のうちりょうぞう) 『論理表現のレッスン』福澤一吉(かずよし) 『増補版 大人のための国語ゼミ』野矢(のや)茂樹 『武器としての〈言葉政治〉 不利益分配時代の政治手法』高瀬淳一 『誤解学』西成活裕(にしなりかつひろ) 『うたがいの神様』千原ジュニア