東京五輪についての NHK のテレビ番組は、どのように作られるべきだったのか―科学のゆとりの欠如

 東京五輪の反対のデモは、悪いものだったのだろうか。それを悪いものだとしてあつかったのが NHK のテレビ番組だ。五輪をふくめて、何かに反対するデモでは、参加者がお金を受けとっているかのように字幕で言った。その字幕がまちがっていたことを NHK は謝罪した。

 たしかに、NHK がテレビ番組でやったように、何かよいことをしようとするさいに、それに反対するものを悪いものだと見なすのは気持ちとしてはわからないことではない。よいことのじゃまをする悪いものだといった見なし方だ。

 NHK に足りていないのは、ねばることである。ねばることが足りていないために、いさぎよさによってしまった。いさぎよく、五輪はよいもので、反対のデモは悪いものだとしてしまった。

 いさぎよさによらないようにして、もっとねばればよかったのが NHK にはある。ねばるようにして、肯定するのはよいことで、否定するのは悪いのだとしたり、肯定は積極で否定は消極だとしたりしないようにする。

 誰もがうなずくような、明らかによいことをしようとするのであれば、それを肯定するのはよいことで、否定するのは悪いことになり、肯定は積極で否定は消極となる。

 誰にとっても明らかによいことなのであれば、それは大きな物語だ。いまの時代は大きな物語がなりたちづらくなっている。小さな物語として見たほうが危険性は少ない。

 大きな物語とはせずに、小さな物語として見るようにして、いさぎよさにはよらないようにして、ねばりをもつようにして行く。大きな物語にしてしまえば、いさぎよさによることができるから、労力がかからない。労力をはぶける。そのかわりに、現実とは離れた虚偽意識になりやすい。

 労力をはぶかないようにして、十分に労力をかけて行くようにすれば、科学のゆとりをもつことができる。労力をきちんとかけて行くようにして、小さな物語によるようにしながら、ものごとを分けてとらえて行く。

 科学のゆとりをもって、ものごとを分けてとらえて行くのであれば、肯定はよくて否定は悪いとか、肯定は積極で否定は消極だといった単純な分け方にとどまるのを少しは避けやすい。もうちょっと細かく分けるようにして行き、肯定のもつよさと悪さや、否定のもつよさと悪さや、肯定がもつ積極と消極や、否定がもつ積極と消極を見て行く。

 いさぎよくせずに、科学のゆとりをもって、ねばるようにしてみれば、肯定はプラスだとは言い切れずマイナスなことがあるし、否定はマイナスとは言えずにプラスのことがある。肯定は積極とは言えず消極のことがあるし、否定は消極とは言えずに積極のことがある。

 科学のゆとりが欠けていたのが NHK であり、もしも科学のゆとりを持てていれば、いさぎよさにはよらずに、ねばることができていた。科学のゆとりが欠けていたことによって、NHK はねばることができずに、いさぎよさによってしまい、東京五輪についてのずさんなテレビ番組を作ってしまった。

 肯定はプラスで否定はマイナスだとか、肯定は積極で否定は消極だといったようにはせずに、もうちょっとだけ労力をかけて細かく分けるようにして行く。肯定のプラスとマイナスや、否定のプラスとマイナスや、肯定の積極性と消極性や、否定の積極性と消極性を見て行ければよかった。NHK が反省するべきところとしては、科学のゆとりが欠けていて、いさぎよさによってしまっていて、ねばりがぜんぜん足りていない点だろう。効率はよいものの、適正さが無いのだ。

 参照文献 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『対の思想』駒田信二(しんじ) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)