五輪と大人と子ども―大人のおろかさ

 五輪で子どもたちに夢や希望を与えられる。選手たちが活躍することによってそれがのぞめる。与党である自由民主党菅義偉首相はそう言っている。

 首相が言っているように、五輪をやることによって子どもたちによいことをもたらすことができるのだろうか。

 大人と子どもを比べてみたさいに、大人よりも子どものほうが賢い。大人のほうが子どもよりもおろかだ。そう言えるのがあるかもしれない。

 与党である自民党の大人たちは、子どもたちよりもおろかである。与党の大人たちが決めるよりも、子どもたちが五輪についてを決めたほうが、五輪がよりまともなものになることがのぞめる。

 悪とはなにか。それが何かをとらえるのはむずかしいものではあるが、悪い人とは子どものような大人であるのだと思想家のトーマス・ホッブズ氏は言っている。強壮になった子どもだ。与党の大人たちは、子どものような大人だと言ってよい。

 悪い人とは子どものような大人のことであり、力を持った子どもであるだけにたちが悪い。ふつうのこどもは力を持っていないから、そこまでの悪をなすことはしづらいが、子どものような大人は力を持っているので、大きな悪をなせてしまう。

 頭のよさやまともさの点からすると、与党の大人たちよりも、子どもたちのほうがよりすぐれている見こみが高い。

 子どもたちであれば、力を持ってはいないから、悪をなしたとしてもおきる傷はそれほど深くはない。与党の大人たちは、子どものような大人たちであり、力を持っているからたちが悪い。与党の大人たちが悪をなしたさいにおきる傷は深い。

 大人と子どもを比べてみたさいに、ふつうは大人がすぐれていて子どもは劣っているのだとされる。それを脱構築(deconstruction)してみたい。五輪についてをとり上げてみると、大人たちがおかしいのが目だつ。大人たちのおかしさがきわ立つ。そのように見ることができるだろう。

 大人たちのおかしさに子どもたちを巻きこむ。子どもたちが大人たちのおろかさに巻きこまれてしまう。五輪ではそれがおきているのがありそうだ。五輪で子どもたちによいことをもたらすのよりも以前に、大人たちのおろかさに子どもたちを巻きこむことをやめるようにするべきだろう。子どもは大人に比べると弱者であり、弱者の人権はよりしっかりと守られて重んじられることがいる。

 与党の大人たちは、子どもたちから学ぶべきである。自分たちよりもすぐれている子どもたちから学ぶようにしたらよい。あたかも子どもたちよりもすぐれているのが大人たちだとするのはおこがましいところがあり、大人たちが子どもたちに何かを与えることができるのだとするのは大人のおごりやごう慢さによる。もっと子どもを見ならうことがあってもよいはずだ。

 参照文献 『リヴァイアサン 近代国家の思想と歴史』長尾龍一脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『悪の力』姜尚中(かんさんじゅん)