アメリカの警察による黒人への暴行と死亡と、生きることへの困窮―差別と偏見の価値観

 アメリカでは、黒人の人が警察に暴行を受けて死亡したことへの抗議の運動がつづいている。アメリカだけではなく抗議の運動はイギリスやフランスやドイツなどの西洋の国でもおきていて、広がりをみせている。

 アメリカにおいて、なぜ黒人の人は警察に暴行を受けて死亡しなければならなかったのだろうか。そこには色々な要因がはたらいているのにちがいない。その一つの要因として差別や偏見があげられる。

 社会の中にある人たちにたいする差別や偏見があると、その人たちは生きて行きづらくなる。差別や偏見の価値観がとり除かれず、それがそのままとられつづけることで、その対象となる人たちが生きて行きづらくなり、負のできごとがおきることがある。おもてに現象となって負のできごとがおきてくることになり、それがアメリカでおきた黒人の人への警察による暴行とそれによる死亡だろう。

 差別や偏見の価値観があることによって、おもてに出てくる現象としてその対象となる人が生きづらくなったり負のできごとがおきてきたりするから、それを何とかするためには、差別や偏見の価値観をできるだけなくして行くことがいる。上の階層と下の階層といったように階層が分かれてしまい、分断の線が引かれてしまう。不平等がおきることになる。この階層が分かれることによる不平等を何とかして行きたいものだ。

 階層が分かれて、下の階層に置かれてしまうことで、そこに属する人は生きて行くことに困窮することがおきてくる。不平等がおきてくることになるが、社会の中で下の階層にたいする差別や偏見や誤解があることがそのもとになる。下の階層に置かれて生きて行くことに困窮するのは、そのもとをその階層の外部に置くことがなりたつ。その階層やそこに属する人をとり巻く外の社会のあり方に悪いところがあるから、みながもれなく平等に生きて行きやすい社会にするためには、階層の分断を何とか改めることができればのぞましい。

 参照文献 『事例でみる 生活困窮者』一般社団法人社会的包摂サポートセンター編 『社会階層 豊かさの中の不平等』原純輔(じゅんすけ) 盛山(せいやま)和夫