身の丈ということから色々なことが見えてきそうだ

 身の丈に合うことをしてもらいたい。新しく行なわれる大学受験の英語の民間の試験について、文部科学大臣はそう言ったという。その発言がとり沙汰されている。

 あらためて見ると、身の丈というのは興味深いものだ。身の丈に合わせることがすなわちよいとは言えないことがあるし、身の丈に合わないことが悪いとも限らない。

 身の丈に合っていないことという点では、文科相の発言とはちがうことがらではあるけど、国の財政のことがある。国の財政では、身の丈に合わないことをやりつづけているために、財政の赤字が多くなっている。これは公共の資源の財(コモン・プール)の問題である。利益を先食いしているために、次の世代(若い世代)に重い負担を残すことになっている。

 身の丈に合わないことをすることを、(経済において)成長を目ざすことだと言えるとすれば、そこには正と負の面がある。身の丈に合わせないで成長するようにするのはよい面があるものの、ずっと成長しつづけるというのは幻想だ。どこかで身の丈に合わせるつまり定常化することをしないと、無理がおきてしまう。

 教育では、大学入試に関して、身の丈ということを文科相は言ったが、そう言うことによって、日本の教育がかかえる色々なまずいことが派生として浮かび上がってくるところがあるのではないだろうか。潜在化していたものが顕在(けんざい)化する。身の丈に合わないことをして苦しんでいる人がいるし、身の丈に合わせられて、身の丈に合わないこと(成長を目ざすこと)ができないで苦しんでいる人もまたいる。すべての人に公平に機会が開かれているとは言えそうにない。

 参照文献 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり) 『社会階層 豊かさの中の不平等』原純輔(じゅんすけ) 盛山(せいやま)和夫