ふいの衝撃によって崩壊や破綻がおきることが危ぶまれる日本の経済や財政のぜい弱性や不安定性

 テレビ番組で、現代金融理論(Modern Monetary Theory)の特集が行なわれていた。この理論をよしとする自由民主党の議員が出ていた。

 国が借金を重ねつづけても大丈夫だ。財政が破綻することはない。物価上昇率が大きくなりすぎなように制御すれば、国が借金を重ねつづけながらであっても、経済をよくすることができる。そんな主張だった。

 ほかの識者が別のところで言っていたことではあるが、いまの日本の財政は、そうとうな穴やぜい弱性を抱えているのではないだろうか。ほんの少しの衝撃が加わったら、そこから崩壊して行く。その衝撃となるのは、大きな自然災害がおきることなどだ。

 MMT の理論によって、いくら大丈夫だ、大丈夫だ、と言われても、それが一〇〇パーセントまちがっているのではないとしても、日本の国の財政には、そうとうに大きな穴やぜい弱性があるという気がしてならない。危機を抱えこんでいるのだ。

 危機を内に抱えていると言ってしまうと、不安をあおるおどしのように響くかもしれないが、(おこってほしいわけでは決してないが)これから大きな自然災害が起きたとして、それにしっかりと耐えられるほど、日本の経済や財政は頑丈なのだろうか。盤石なのだろうか。そこには個人的には疑いをさしはさまざるをえない。信用することができづらい。

 いまもそうだし、これから先も、いざとなったときに、時の政権が困っているのや弱っている国民にたいして、十分に温かい手をさしのべることはちょっと想像しがたい。そこは冷たいのではないか。いまもって、すでにして、日本の財政はぎりぎりのところにあって、ゆとりというものがなくて、われわれ(素人)が思っている以上にもろいところがある。色々に見られるのはあるだろうから、決めつけてしまってはいけないが、そんなところが実状なのではないだろうか。

 国の借金が増えつづけているのがある。これは将来の世代に負担を先送りしていることをあらわす。これから超少子高齢化が進む中で、将来の世代の負担がどんどんと重くなっているのだ。若い世代ほど数(人数)は少なく負担は重い。それはいまの時点において、現役の世代がになう社会保険料の負担の重さなどになってすでにおきている。国が借金を増やしつづけるのは、公共資源(コモン・プール)の財にまつわる問題があるのだ。利益を先食いして、負の遺産を残してしまっているおそれが高いということだ。

 国は借金をいくらしても(かなりしても)大丈夫だということで、それが正しいのであれば、悲観はふさわしいことだとは言えそうにない。その点については、どういった見なし方が正しいものであるにせよ、勉強不足だといったような欠如モデルではなくて、対話モデルによるほうがのぞましい。欠如モデルは父権主義(パターナリズム)だ。勉強が不足しているからまちがっているのだという欠如モデルではなく、反欠如モデルである対話モデルなどによって、それぞれの判断や仮説についてを対話のやり取りの中で見て行くことがいる。

 参照文献 『国債暴落』高田創 住友謙一 『よく解る ニッポン崩壊地図入門 壊れてゆくニッポン』高田明典 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり) 『科学との正しい付き合い方 疑うことからはじめよう』内田麻理香 『本当にわかる論理学』三浦俊彦