世界保健機関である WHO と信頼―価値の共有

 世界保健機関である WHO は、ウイルスへの対応にまずさがあった。新型コロナウイルスへの感染に手を打つことが遅れた。あり方が中国にたいして甘く、中国に寄っていて偏っている。そうした声が言われている。

 WHO がウイルスに対応するしかたへの批判は、WHO にたいする信頼と関わっていると見られる。WHO への信頼がもてなくなっていることがおきている。

 WHO が信頼を回復させるために、他と価値を共有することがいる。価値を共有することができるようにして、信頼を少しでも回復したい。

 WHO と、WHO にたいして批判を投げかける人または集団(アメリカなど)とのあいだで、お互いに価値がすり合っていないと、お互いにぶつかり合いがおきてしまう。

 お互いに価値がすり合っていないのだとすれば、価値がすり合うようにして行きたい。価値をすり合わせて行くとはいっても、ただ健康や保健という価値をゆいいつの正しいこととして強引におし進めて行くことはできづらい。ほかの経済への影響などとのかね合いが出てくる。組織の運営の資金を出してくれるところの顔を立てないといけない。

 ただ純粋に健康や保健の価値を強引におし進めて行けばそれでよいとは言えないところがある。それらの価値を純粋なものとして強引におし進めれば、経済への悪い影響がおきてくることがあるから、それができづらい。経済にさしさわりがおきてくることがある。健康や保健よりもほかのことが優先されてしまう。

 健康や保健は大事なものではあるとしても、それがないがしろにされることがある。それがないがしろにされるのは、ほかのことがもっと大事なのだと見なされることによる。経済などのほかのこととのかね合いがおきてくる。

 人間が生きて行くさいには、ただ健康や保健だけを純粋に追い求めているとは言いがたい。少しは健康に悪いことを好む。大いに好むこともある。健康や保健が犠牲にされるとしても、経済や軍事などが優先されることがある。そうした色々なことがありそうだから、それらをおもんばかることがなければならず、そこが難しいところかもしれない。

 参照文献 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや)