ウイルスへの感染の広がりと排除―社会から排除されて引きはがされるおそれ

 新型コロナウイルスへの感染が広がっている中で、経済への負の影響などのさまざまなまずいことがもしかしたらおきるかもしれないが、その中の一つに排除がある。社会の中で排除される人がおきかねないまずさがある。

 ウイルスへの感染が広がっていることで、社会の中で排除されやすい人は、もともと社会への接合が中途半端になっていることによるのがある。社会にしっかりとした足場を築けていない。お金などの溜めとなるものが少ない。標準とされる型からこぼれ落ちる。持つ者と持たざる者とでは、持たざる者に当たる。

 社会から引きはがされづらい人と、引きはがされやすい人とがいる。引きはがされづらい人と引きはがされやすい人とは、置かれている状況がちがう。だからお互いに没交渉でもよいのかといえば、そうとは言えそうにない。そのあいだに相互作用がはたらくからである。

 社会の中でもともと中途半端な接合しかできないような、排除されやすい人がいて、そうした人が排除されることになって、社会から引きはがされる。そうした人が多く出てくれば、社会の全体がもたなくなりかねない。

 社会の中で接合が中途半端になっているような排除されやすい人を放ったらかしにしていた。そういう下地があるなかで、さらにウイルスへの感染の広まりがおきることで、より排除を生み出しやすくなる。社会から引きはがされることが多くおきるおそれが出てくる。

 排除の点から見てみると、もともとの社会のあり方にぜい弱性があったのだと見なすことがなりたつ。個人が十分に社会に接合できているとはいえず、国家主義などによる見せかけの全体への接合や帰属が行なわれていた。ほんとうの意味で排除がおきることを改めることや、多様な質を許す多元性をとって行くことはあまり行なわれていなかった。

 ウイルスへの感染が広まる前に、もともと社会への包摂が十分ではなくて、それに欠けているところがあったのはいなめない。のぞましくないとされた人が悪玉化されて排斥する動きがあったり、限定的な包括があったりするのにとどまっていた。きびしく見なすとすればそうしたところがあるのだと言える。

 参照文献 『社会的排除 参加の欠如・不確かな帰属』岩田正