感染している人を検査で調べて事実を知ることと問題の解決―事実にもとづいたうえで手だてを打つのがよいのではないだろうか

 じっさいの新型コロナウイルスに感染している人の数は社会の中でどれくらいにのぼるのだろうか。そのじっさいの数を知るのは検査によってわかる。

 検査をたくさんすると患者が病院に押しかけることで日本の医療は崩壊する。そう危ぶまれるのがあるから、検査がたくさん行なわれず、検査の数が抑えられているのだとされる。

 検査の数を増やすべきか増やさないようにするべきかでは、数を増やす利点としては、じっさいの事実を知ることにつながりやすい。検査の数を増やさない欠点としては、その逆に、じっさいの事実を知ることにつながりづらい。

 問題を解決して行くためには、事実をきちんと知るようにすることがいる。事実を知ったうえでそれに対応して行く。そうして行くと的を得たことをしやすいから問題の解決につながりやすい。

 事実がわからないと問題の解決にもつながりづらいという欠点がある。事実がわからないままだと本当のところはどうなのかがわからないままになる。事実にもとづいた手だてを打つことができづらく、したがって問題の解決につながらないような手だてを打ってしまうことになりやすい。

 検査の数を増やすことだけに限らないかもしれないが、何らかの形によってきちんと事実を知るようにできれのぞましい。

 こうであってほしいとか、こうであったらよいなということと、こうであるという事実とはいちおう切り分けられていたほうがよい。それらが切り分けられずにいっしょくたに混ざり合ってしまっているとことによってはまずい。

 こうであってほしくないとか、こうでなければよいなということが、たとえこうであるという事実と重なり合っているのだとしても、その事実が都合が悪いことに当たることでないがしろにされてしまう。ないことにされてしまう。それは多くの人が関わる公共の政治においては避けるようにしたほうがよいことだろう。

 参照文献 『考える技術』大前研一