(悲観として見れば)国難とも言える感染の広がりと、それを乗り切ること―印象が悪くなるということで、首相は表に出てくるのを避けているようだが

 乗り切れるのはいまの首相しかいない。雑誌の売り文句でそう言われていた。新型コロナウイルスへの感染が日本の社会の中でしだいに広がっているようだが、それを乗り切れるのはいまの首相しかいないというのだ。

 修辞学で言われる型を当てはめてみると、因果関係からの議論によって見てみることができる。感染の広がりをうまく乗り切ることの必要十分条件となるのがいまの首相だとされる。必要にして十分な条件として首相がいるわけだ。首相が原因となって、うまく乗り切れる結果になるのだ。

 ほんとうに首相は必要十分条件になっているのかというと、それはきわめてあやしい。必要な条件とは言えないし、十分な条件とも言えそうにない。

 感染の広がりをうまく乗り切るためにやらなければならない色々な対応を首相はきちんとやろうとしているのか、というふうに問いかけて行くことがいる。その問いかけを封じてしまうことになるのが、首相のことを必要十分条件だと見なすことだ。

 かなりきびしく見ることができるとすると、雑誌の売り文句とは逆に、むしろうまく乗り切ることのさまたげとなってしまっているのが、いまの首相による政権のやっていることなのではないだろうか。そう疑えるところがある。対応に失敗することのもとに政権がなってしまっているのだとすると、それはないがしろにすることはできそうにない。その点については、ただたんに首相のことを有力に見なすだけではなくて、冷静につき放して(へんに温かくしないで)評価することがあったほうがよい。

 肝心なのは、政権が危機にたいしてきちんと対応することができているかや、それから回避してしまってはいないかだろう。十分に有効な手だてを打てていないのだとすると、それは局所の最適にはなっているとはいえても、大局から見てのほんとうの最適にはなっているとはいえそうにない。そこがとくに注視されることがあったらよい。

 参照文献 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『危機を避けられない時代のクライシス・マネジメント』アイアン・ミトロフ 上野正安 大貫功雄訳