仕事をすることは問題を発見すること(と処理すること)だと定義づけができるとすると、いまの首相による政権は仕事ができていないのではないだろうか(それどころか問題を増やしてしまっている)

 いまの首相による政権の経済政策によって、成果が出ている。世の中はよくなっている。そう見なすのが絶対にまちがっているというのではないが、そう見なしてしまうと、問題なしということになってしまう。そうではなくて、問題ありということで、色々な問題を見つけて行く。それが政権が仕事をして行くということではないだろうか。

 政権の経済政策によって成果が出ていて、世の中がよくなっているとするのは、政権にとっては心地がよいことだろう。心地よさに浸ることによって、現実にあるさまざまな問題が見逃されてしまう。見逃されてしまうと解決へのいとぐちをつかみづらい。

 政権にとってたとえ心地が悪いとしても、日本の社会の中にあるさまざまな問題をどんどん見つけて行くことがのぞましい。いまの日本の社会において、不幸をかかえて生きている国民は少なくないのだから、政権は自分たちの成果をほこっている場合ではない。

 昔とは経済のあり方が変わって、グローバル化がおきることによって、途上国にとっては多少の利益がある。途上国の経済にとってはよくはたらくところがあるという。そのいっぽうで、先進国においては、先進国の中に途上国の部分ができることになる。世界の国々とのあいだで競争になるので、先進国の人間だという利点がなくなり、途上国の人々との競争を強いられることになる。先進国の中では、両極化がおきて、中間層が空洞化してしまう。

 政権のなすことによって成果が出ているところには光が当たっているのだとしても、その光は偽ものであるかもしれないし、光が当たっていないぼうだいな闇が周りにはある。闇がぼうだいにあるといっても、それがたんに杞憂にすぎないものなのであれば、あまり心配することはいらない。本当にうまく行っているのならそれはそれでよいけど、政権の経済政策(など)によって世の中はうまく行っているという見かたについては、疑問を投げかけられるから、さし引いて見られるのがある。

 参照文献 『ここがおかしい日本の社会保障山田昌弘 『問題解決力を鍛える』稲崎宏治