桜を見る会とその前夜祭と、国会での野党のなすべき質問―修辞学でいわれる比較からの議論によって見てみたい

 桜を見る会のことを国会で野党の議員がとり上げる。そんなことをいましている場合なのか、ということが言われていた。

 いまの首相による政権の大臣は、ツイッターのツイートで、桜を見る会についてを質問する野党のことを疑問視していた。それよりも、いま中国で問題となっているコロナウィルスによる新型肺炎への対応の質問を野党の議員はするべきだというのだ。

 大臣が言うように、桜を見る会のことについてよりも、新型肺炎のことについてを野党の議員は優先して質問するべきなのだろうか。このことについては、修辞学でいわれる比較からの議論によって見てみることができる。

 どういう質問を野党の議員が国会で行なうのがふさわしいのかは、優劣によるものだ。それとは別に、類似によって見られるとすると、質疑にたいする応答を求めることでは同じだ。

 桜を見る会について、いまの首相による政権(主として首相)は質問にまともに答えられていないのが目だつ。そこからおしはかるとすると、桜を見る会の質問にまともに答えられていないことが多いのだから、ほかの質問についてもまともに答えを得られるのぞみは高くはないのではないだろうか。そのように敷えんして見ることができる。

 優劣ということでは、桜を見る会のことは劣で、新型肺炎のことは優だというのは、たしかに当たっているのはある。それはあるものの、その優と劣の当てはめを逆にすることもまたできる。というのも、いまの首相による政権の目線に立ってみれば、桜を見る会のことは政権の持続(浮沈)にとって重大なことなので、優だとも見られる。その優のことについてを、政権(主として首相)はほとんどまともに答えられていない。このことのもつ意味はそんなに小さくはないのではないだろうか。

 参照文献 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信