東洋の仏教で言われるレンマ―練磨と鈍磨

 東洋の仏教には、レンマというのがあって、これは直観によって全体をとらえるものであるという。

 東洋の儒教になぞらえられるとすると、レンマとは陽明学に当たるものかもしれない。陽明学では、心即理とされている。心はそのまま(ありのまま)で理とされる。じかの行動がよしとされるものだという。

 儒教ではほかに朱子学があって、これは少しずつ正しいあり方に近づいて行くものだという。格物致知(かくぶつちち)と言われるものである。物に格(いた)ることによって知識を十分なものにして行く。それが致知だという。

 朱子学では性即理と言われている。人間の性はもとは理だが、その理の度合いがあって、多い少ないがある。知識や情報などの理を少しずつ高めて行く。

 陽明学ではなくて、朱子学としてレンマをとらえられるとすれば、少しずつ正しいあり方に近づいて行けるように、力能を練磨(れんま)して行くことができればよい。逆に鈍磨してしまわないようにせめて気をつけて行きたい。

 参照文献 『日韓理解への道 座談会』司馬遼太郎 森浩一 金達寿(キムタルス) 高柄翊(コビョンイク) 鮮于煇(ソヌヒ) 『儒教三千年』陳舜臣(ちんしゅんしん) 『発想のための論理思考術』野内良三(のうちりょうぞう)