観光の産業の弱さと不安定性―日本と韓国における理と気

 日本と韓国とのあいだの関係が悪化している。報道ではそう報じられている。それによって打撃を受けているのが、日本国内の観光の産業だという。

 観光だけをとってみても、日本は韓国からそれなりの恩恵を受けているという。毎日新聞の記事に出ていたのだけど、日本は毎年にわたって韓国からおよそ四〇〇〇億円ほど稼がせてもらっているそうだ。韓国から日本にやって来てくれる旅行客が多いのだ。

 観光の産業だけではなくて、貿易なんかをくみ入れると、日本は韓国から年に二兆円ほどの利益を得ているという。日本における韓国からの恩恵は、経済としてかなり大きいということがうかがえる。

 観光では、日本にやってくる旅行客の四人に一人が韓国人だということだ。これまではそうだったが、これから先も安定して韓国から日本に旅行客がやって来てくれるとは言えなくなってしまっている。日本と韓国とのあいだで、政治においてぶつかり合いがおきていて、関係が悪化しているためだ。

 観光の産業は、どんなときにも安定して外からお客さんがやって来てくれるというものではないという。日本にたいする悪い情報なんかが流れれば、それに影響されやすくて、打撃を受けやすい。不安定さをかかえている。

 理と気の枠組みで見てみると、日本において、日本は正しくて韓国はまちがっているという理を強く押し通してしまったばかりに、経済の利益という気を失うことになってしまっているのではないだろうか。観光の産業は不安定さをかかえていることから、日本が韓国にたいして強く理を押し通すと、それによって負の影響を受けやすく、利益である気をかんたんに失うことになりやすい。

 日本は韓国から利益である気を受けつづけてきているのがあって、それをできるだけ忘れないようにすることがいるのではないだろうか。利益である気を韓国から受けていることを忘れて、気とは切り離す形で日本の理を韓国にたいして強く押し通すことは、そこに危なさがつきまとう。

 日本にとって、韓国からやって来てくれるたくさんの旅行客を含めて、観光の産業によって得られる利益である気は大切なものだとすると、その気を重んじるようにして、それを失わないように気をつけて、日本における理のあり方を見直すようにするのはどうだろうか。日本の理を捨てることがいるというのではなくて、日本が正しくて韓国はまちがっているという理の硬直したあり方を和らげるするようにすることはできることだろう。硬直した理だけの一元論にならないように気をつける。

 人によって色々な見なし方があるだろうけど、方向性としては、日本と韓国とのあいだでもっとたくさんの利益である気がやり取りされるようになればのぞましい。気の量がもっと増えればよい。気の量が増えて、日本が韓国から受ける利益がもっと増えればよいし、それはやりようによっては増やせるものなのではないだろうか。そうすれば、日本と韓国はお互いにぶつかり合っている場合ではなくなる。お互いがお互いにとって大事な相手なのだということを意識できることにつながる。単純に見ても、日本の利益である気の量が増えるのだから、悪いことではないのではないだろうか。

 日本は、日本は正しくて韓国はまちがっているという理を強く押し通したいのはあるだろうが、そこをあえて置いておいて、気である利益や情(よい情)に目を向けて見るようにする手が打てる。いっけんすると遠回りのようではあるが、じかに理をとるのではなくて、間接として気の方に迂回して、それで理についてを少しずつ何とかして行く。

 日本が正しくて韓国はまちがっているというのは、理についてのことがらであって、理非曲直(りひきょくちょく)についてのものだが、それについては、肝心なのは日本と韓国とのあいだで意思疎通を進めて行くことだろう。

 日本のよしとする理があって、韓国のよしとする理があるから、なかなか難しいものではあるが、そもそもの話としては、すべてのことが何でも滑らかに行くものではない。互いの理が折り合わないのは、それをもってして頭から悪いことだとは必ずしも見なせない。滑らかさが失われることによってはじめて気がつけることはあるものだろう。

 日本がよしとする正しい理がただ一つだけあって、韓国によるまちがった非理があるとするのではなくて、できるだけ日本がよしとする理を教条(ドグマ)化しないようにすることがいる。

 日本がよしとする理を一つのテーゼだと見なせるとすると、それにたいして非理となるアンチ・テーゼをとることができて、アンチ・テーゼのほうが正しいことは十分にありえる。そうしたことはしばしばある。正と反の止揚による合(ジン・テーゼ)の弁証法による枠組みだ。

 日本はいまのところ、合にはいたっておらず、自分たちのよしとする理をとることにとどまっている。または、無理やりに合(正つまり合)にして合理化してしまっていて、アンチテーゼをまちがったものだとして切り捨ててしまっている。非合理なものを見ないようにしているように見うけられる。日本がよしとする理をかりに陽だとすると、その反対となるのが陰であって、陽と陰とは相対的なものだということになる。互いに混ざり合っているものであって、転化することがある(陽が極まれば陰に転じる)。東洋の陰陽思想で言えばそう言えるだろう。

 参照文献 『韓国人のしくみ 〈理〉と〈気〉で読み解く文化と社会』小倉紀蔵(きぞう) 『韓国は一個の哲学である 〈理〉と〈気〉の社会システム』小倉紀蔵 『遠い太鼓』村上春樹姜尚中にきいてみた! 東北アジアナショナリズム問答』姜尚中(かんさんじゅん) 「アリエス」編集部編