時の政権における二面性―表象の必要性と、表象への批判の必要性

 時の政権は、国民そのものではない。国民の代理や代表だ。そこから、時の政権は表象であるということができる。表象というのは間接的なものであることを示す。

 まず一つには、時の政権について、国民そのものだとは見なさないようにしないとならない。あくまでも、間接的な表象だと見なすことがいる。その上でさらに、その表象にたいして批判を投げかけることがいる。

 必要性という点では、表象の必要性と、表象への批判の必要性の二つがないとならない。誰かが政治の権力について、それを担わなければならないのは、表象の必要性があることにすぎない。誰かが時の政権につくことになるが、そこに批判を投げかけることがいるのが、表象への批判の必要性だ。

 日本では、表象にたいして無批判になってしまうことが多いのではないだろうか。表象である時の政権が言っていることを、そのまま受けとめてしまう。時の政権が言っていることをそのまま受け入れるのは危ないことだが、大手の報道機関ではしばしばそれが行なわれていることが目だつ。

 時の政権だけではなくて、報道機関もまた表象だ。なので、報道機関についても批判を投げかけることがいる。これは情報リテラシーだ。情報を批判的に受けとめることである。

 表象であるいまの日本の時の政権が言っていることで、無根拠になっていることがある。根拠が欠けていて、たんにこうだというふうに言い切っている。これは、言っていることの水準が低いものだと見なさざるをえない。

 公のことがらに関わることなのであれば、たんにこうだと言い切るのではなくて、こうだからこうだというふうに根拠を示すことがないと、日常の生活の中における雑談の域を出ない。建て物で言うと、支柱(根拠)が欠けていて、無支柱になっているのだ。支柱(根拠)が強いとか弱いとかではなくて、支柱そのものが欠けてしまっているのだから、建て物で言えば構造の耐震性に大きな欠陥がある。ひどくぐらぐらとした発言だ。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『ポリティカル・サイエンス事始め』伊藤光利編 『実践トレーニング! 論理思考力を鍛える本』小野田博一 『議論のレッスン』福澤一吉(かずよし)