国民を代弁して国民の代表が国民の代表(いまの時の政権)に感謝するというおかしさ―国民の代表つまり国民そのものではないからこそ(時の政権は)批判されないとならないのだが

 首相や外務相は、きわめてすぐれた外交や交渉の能力をもつ。政治の能力がとても高い。なので日本の内外における政治のものごとをうまく進めて行っている。そのことを国民を代表して感謝したい。自由民主党の政治家は、身内であるいまの時の政権について、国会の質問でそう述べていた。

 外交という点で言うと、いまの時の政権ははたしてのぞましいことを行なっているのだろうか。むしろ悪い点が目だつ。悪い点というのは一つには危険な冒険主義だ。報道によると、韓国にたいして、あたかもけんかをふっかけるときのように、はじめの一発が大切だといったことでやっているのだという。

 いまの時の政権は、冒険主義になってしまっていて、落としどころをあらかじめ定めないで、韓国との対立を深めてしまっている。たとえ対立するにしても、さいごにはこういう落としどころが見こめるとか、こういう妥協点がとれるというふうに逆算してやるならまだしも、それが見えてこない。

 自民党の議員は、身内であるいまの時の政権のことをほめていたが、国会はそうしたことをする場だとは言えそうにない。いまの時の政権にとって身内に当たる与党の議員が時の政権のことをほめるのは、いまの時の政権にたいして肯定で働きかけることである。それだとたんに(いまの時の政権にたいして)ありがたやということになるのにすぎない。

 ありがたやということでほめるのは、いまの時の政権を肯定でしたて上げることである。そうすることによって、いまの時の政権がもつ否定の契機が隠されてしまう。この否定の契機を明らかにしていって、不都合な点をおもてに出して行くことが、批判をすることである。

 ありがたやということで(まわりが)ほめることによって、いまの時の政権はますます虚偽意識化が進んで行ってしまっている。現実から離れて行ってしまっている。それが危ぶまれる。

 いまの時の政権そのものが虚偽意識と化しているのがあるし、それについてありがたやとしてほめている身内の自民党の議員が国会の質問で言っていることもまた虚偽意識におちいっている。ほめるにしても、的を得てほめるのならまだしも、的を外してしまっているし、(的を外していることによって)中身が無内容だ。時間の無駄だ。それらのことから、なされるべき批判が行なわれず、批判が欠けてしまっていることがうかがえる。

 参照文献 『現代思想のキイ・ワード 増補』今村仁司 『政治家を疑え』高瀬淳一 『ほめるな』伊藤進