韓国のことを頭ごなしに否定する本をつくって売る出版社の言いぶん―フランケンシュタイン博士と怪物

 韓国を否定するような本を売る。そうした本はよく売れる。それを売ってもうかったお金を、よい本をつくるもとにする。そうしたことが出版社によって言われていた。

 たしかに、いまの日本の世の中では、本が売れなくなっていると言われる。出版不況だ。よい本を出しても売れないことが少なくないから、商売としては苦しいのはあるのだろう。

 韓国についてを一方的に否定するような本をつくるのは、いわば有毒なものを社会にまき散らすようなことではないだろうか。それで社会の中に有毒なものが多く広まることになって、社会がおかしくなってしまったら、出版社はそのことについての責任をとることができるのだろうか。

 出版社が有毒な本をつくるのは、物語にあるフランケンシュタインで、フランケンシュタイン博士が怪物をつくり出すことになぞらえられる。博士は自分で怪物を生み出すことに成功したが、その怪物が博士を否定しはじめる。博士には怪物を生み出したつくり手としての立ち場がさいごまで重くのしかかる。

 有毒なものである、韓国を一方的に否定する本をつくって売るのであれば、それにたいして出版社は自分たちで自己批判をするべきだ。出版社が自分たちでもつ認識として、売りっぱなしにして終わりにするのではなくて、自己を批判してもらいたい。社会にたいして有毒なものをまき散らしてしまっているということにたいする危機意識を持たないのは文化の営みのにない手としてはややおかしい。

 日本の中にも韓国に出自を持つ人たちがいるのだから、そうした日本の社会における少数派の人たちを否定することになるような、韓国を一方的に否定する本を売ることは、日本の社会の全体にとってよくはたらくことだとは言えそうにない。

 百歩ゆずって、かりに出版社がお金をもうけるために韓国のことを一方的に否定する本をつくって売るのであれば、そのかわりにその有毒なものを解毒(デトックス)するような本もつくって売るべきだ。その両方をしないとならない。解毒として、韓国を一方的に否定することがいかによくないことであるかというのも言うことがいる。

 よい本か悪い本かということでは、人それぞれの見なし方はあるだろうけど、韓国を一方的に否定することがいかによくないことかという本であれば、それはよい本に当たるものだと言いたい。

 世に悪書なしと言われるのはあるが、これの意味するところとは、よいかどうかは受けとる方が判断することだということだ。受けとる方が最低限の判断力や目利き力を持っていなければ、出版社は有毒な本をつくって売って、それがたくさん売れることがおきてしまう。そのことはかりに百歩ゆずるにしても、出版社は有毒なものを自分たちでまき散らしたのだから、それを解毒して無毒化する製造者責任があるのだと、厳しく言えば言えるだろう。

 参照文献 『現代思想で読むフランケンシュタイン』J・J・ルセルクル 今村仁司 澤里岳史(さわさとたけし)訳