労働組合の効力感や無力感と、それとは別の(労働者にとっての)労働組合の大切さ

 労働組合にたいする印象は必ずしもよいものではない。労働組合が労働者を救うことができているのかと言えば、十分にできているとは見なせないものだろう。

 労働組合が労働のことだけではなくて、ほかの政治の活動を行なうことにたいして、好ましくない目が向けられているのがある。大きな労働組合は数の力をもっているので、政治の活動を行なうことがあるが、人によって色々な政治の立ち場があるので、そのすべてを満足させることはできづらい。

 労働組合は、労働者を救うために、大きな効力感をもっているとは見なせそうにない。無力感があるというのがある。それはあくまでも、具体の現実の労働組合について部分的に言えることではあるかもしれないが、そうだからといって、労働組合の重要さはまた別のものなのではないか。

 労働組合はおしなべて役に立たないのだと一般化するのは、ふさわしいこととは言えないのがある。労働組合に力がないのであれば、それは労働者にとって益にはならないことなのだから、労働者が少しでもむくわれるようにするためには、労働組合が力をもつようにすることがいる。そのためには、労働組合(ユニオン)の大切さやその意味あいというのを見直すようにして、十分に結成されたり活用されたりすることがのぞましい。ちなみに、労働組合は、最低二人以上の人がいればつくれるそうだ。

 参照文献 『図説 労働の論点』高橋祐吉 鷲谷徹 赤堀正成 兵頭淳史編