お笑い芸人の闇営業

 闇営業というのがあるという。芸能人が、所属する事務所を介さないで営業を行なう。

 事務所そのものがもし闇なのだとしたら、それを介さないのは、光営業と言えるところがないではない。へ理屈ではあるかもしれないが。

 大手の事務所は、反社会勢力と関わることは断じて許されない、としている。反社会勢力は社会における闇に当たるものだが、大手の事務所そのものが闇を抱えているとしたら、それは許されるのだろうか。

 建て前としては光でも、または、建て前そのものすらとらずに、闇となるようなものが、政治や社会においてはびこってしまっている。闇とは何か、光とは何か、それは必ずしも自明だとは言えそうにない。

 お笑いの世界にとって益するかどうかはわからないが、使用者(事務所)と労働者の関係を見直すことがいるのではないだろうか。お笑いの世界に限らずではあるが、いまは使用者が力をもちすぎていて、労働者がしいたげられやすい。そのことによって色々な闇がおきてしまっている。

 お笑いのこととは話が離れてしまうが、労働においては、使用者が力を持ちやすくて、労働者がしいたげられやすいという闇がある。労働者が酷使や搾取をされやすい。労働そのものにおいて、まっとうな労働がなりたちづらい。

 労働そのものが、資源の無駄な浪費や環境の破壊につながっていて、闇のようになっているところがある。労働の対価ということでは、最低賃金が低すぎるので、貧困層の労働者(ワーキングプア)が多くなっている。がんばっても(働いても)報われないことが少なくないのだ。がんばるほど得られるものが多くなるという等価の正義が狂ってしまっている。

 参照文献 『辞めたくても、辞められない! 一度入ったら抜けられないブラック企業の手口』溝上憲文(みぞうえのりふみ) 『中国で考える』今村仁司