権力をもった政治家の嘘や矛盾と、無批判でそれを受けとることが、同時進行することによる負の循環

 権力をもった政治家が、表の言いまわしと裏を使い分けるのは危ない。これは日本の戦前や戦時中において見られたことだ。

 日本の戦前や戦時中においては、日本の政府は国民をだまして、表で言うことと裏にあることとがちがっていた。戦争が終わったあとでそれが明らかになった。

 理想論としては、権力をもつ政治家は、黒いものを黒いと言うことがいる。これが、黒いものを灰色と言うのはやや危ない。黒いものを白いと言うのはとても危ない。いまは、黒いものを灰色と言ったり白いと言ったりすることがまかり通ってはびこっているような気がしてならない。

 権力をもった政治家が、黒いものを灰色と言う婉曲(えんきょく)の話法や、黒いものを白いのだとする嘘を言う。それと同時進行で、権力をもった政治家の言うことを、そのまま受けとってしまうことがあると、悪循環になりかねない。

 同時進行ではなくて、どちらか一方だけであれば、まだ悪循環になるのは防げるかもしれない。権力をもった政治家が婉曲の話法や嘘を言っていても、それにたいして無批判で受けとるのではなくて、きびしい批判による権力チェックが行なわれれば、ずるずると悪いほうに進んでいってしまうのに歯止めをかけられる。

 面子(めんつ)をやたらに気にすると、権力をもった政治家は嘘をつきやすくなる。自分の面子を守るためや、面子が傷つかないようにするために、または日本という国の面子を高く保つために、その場しのぎのことを言いつくろってしまう。心理としてはわからないではないことだが、多くの人が関わる国の政治においては、面子は二の次(三の次)にして、その場しのぎの言いつくろいをしないようにしなければならない。

 権力をもった政治家が婉曲の話法や嘘を言い、それが無批判に受け入れられるようだと、政治の腐敗が正されづらい。あくまでも権力をもった政治家が悪いという点に立つとすると、表で言うことと裏にあることとの間のずれをできるかぎり小さくするのでないと、政権与党の組織としての自浄作用がどんどん失われていってしまう。

 参照文献 『警察はなぜあるのか 行政機関と私たち』原野翹(あきら) 『論破力』西村博之(ひろゆき) 『日本語の二一世紀のために』丸谷才一 山崎正和