テレビはものごとを白か黒かで決めつけるから、旧統一教会を悪く言いすぎているのか―旧統一教会を悪ものあつかいしすぎているのか

 韓国の新宗教(旧統一教会)のことを、悪く言いすぎだ。テレビのあつかい方でそれがあるのだと、テレビ番組の出演者はしていた。

 テレビでは、ものごとを白か黒かの二分法で決めつけるのがあるから、韓国の新宗教のことを悪く言いすぎなのがある。そう言われるのがあるけど、それは当たっていることなのだろうか。

 たしかに、テレビにはものごとを白か黒かの二分法で単純に決めつけるところがあるのは当たっていそうだ。

 テレビには、ものごとを白か黒かの二分法で割り切る、悪いところがあるけど、その悪さは、テレビだけにあるのではないし、テレビにそれがあるのとは別に、韓国の新宗教にこそそれがある。

 同じことは、同じようにあつかうべきだとする、正義の原則(類似性の原則)からすれば、テレビと同じ悪さが、韓国の新宗教にもあるのだから、テレビだけが悪いところを持つかのように言うのは適したあつかい方だとはいえそうにない。

 正義の原則では、同じものは同じようにあつかう(等しいものは等しくあつかう)ことがいるから、テレビが持つ悪さとともに、韓国の新宗教の悪さを見てみたい。

 どのような悪さを韓国の新宗教が持っているのかといえば、(テレビと同じように)ものごとを白か黒かの単純な二分法で割り切ることだ。

 単純な二分法によってしまうと、単純な弁証法におちいってしまい、味方か敵かといった分け方になるのでよくない。たんじゅんに、味方か敵かを分けるのが韓国の新宗教にはあるけど、これは韓国の新宗教のおろかさを示す。

 どのように韓国の新宗教のことをテレビで報じるべきかといえば、仮説のあり方が役に立ちそうだ。仮説のあり方によるようにして、まったく正しい一〇割の白い仮説から、まったくまちがいの一〇割の黒い仮説までの幅がある中で、その中間の、何割かは正しいまたは何割かはまちがいだとする、灰色のところによるようにして行く。

 ていどによるようにして、何割かは正しい仮説だとするようにすれば、そこそことか、ほどほどには正しい仮説だとできる。中間の灰色のものを、黒または白であるかのように報じるのはまずいけど、中間の灰色のものを灰色として報じるのはまずくはないだろう。灰色として報じるのが、報道の自由として許容されたほうが、自由さが高まる。

 灰色のものを報じるのを許さないのは、報道の自由がないことであり、情報が民主化されていない。政治の権力者を、灰色のものとして報じるのが許されるのでないと、その国に報道の自由があるとはいえないのがある。

 たとえばいまのロシアでは、ウラジーミル・プーチン大統領を、灰色のものとして報じるのは禁じられているものだろう。プーチン大統領についてを黒や灰色と報じるのは禁じられていて、白としか報じてはならないようになっている。

 よい宗教の団体であれば、正の順機能をもつ。正の順機能は色でいえば白に当たるものだけど、それだけではなくて、負の逆機能をもつとすると、黒のところをもつ。

 どのような機能を韓国の新宗教がもっているのかでは、正の順機能もなくはないが、負の逆機能がいっぱいにある。白いところがないではないのだとしても、黒いところが探せばたくさんあるものだろう。その黒いところをどんどん報じて行くことがいる。

 白か黒かでは、白いところがまったくないかのように言うのだとやりすぎだけど、黒いところがいっぱいあるのにもかかわらずそれを報じないのはおかしいことだろう。黒いところをどんどん報じたほうが、益になるのがあり、よくはたらく。

 黒いところがいっぱいあるのにもかかわらず、それがぜんぜん報じられないと、まずいことになりかねない。黒いところがいっぱいあるのが、日本の国(社会)にとってすごくわざわいするかもしれないのだから、そのわざわいが現実化してしまったら手おくれだ。

 白いところがあるのであれば、それを報じればよいし、黒いところがいっぱいあるのなら、それもどんどん報じればよい。どちらもが、事実としての信頼性をもっていなければならないだろう。事実でないような白いことや黒いことが言われるのであれば、信頼性や信ぴょう性がうすいことが言われることになる。

 何ごとも、良い部分だけではなくて、悪い部分も持っているから、その悪い部分をどんどんとり上げて行くのは、ものによってはいる。良いのなら良いだけとか、悪いのなら悪いだけといったことはあまりないから、ここは良い部分(正の順機能)で、ここは悪い部分(負の逆機能)といったようにして、悪い部分もどんどん見ていったほうが、そのものへの理解が深まって行く。

 参照文献 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信