決まったこと(お上が決めたこと)にたいする批判

 決まったことについて、文句や批判を言うのはどうなのか。新しい元号が令和に決まったことを受けて、それに文句や批判が一部から投げかけられている。新しい元号をよく受けとらないことについて、必ずしもよしとはされていない。

 たしかに、新しい元号として令和に決まったのだから、それをよしとして受け入れるのは一つの合理性のあるあり方だ。一〇〇パーセント悪いものではないのだし、受けとり方は人によってさまざまなのだから、満足することはあってよいことだ。

 お上が決めたことなのだからそれに従うのは当然だということには批判を投げかけたい。お上が決めたことだろうと何だろうと、あることにたいして批判を投げかけるのはあってよいことであって、それがいけないとは言えそうにない。

 こういうわけだからここがおかしいとか、こういうことだからここがいけない、といったように、わけ(理由)と主張で批判がなりたっているのであれば、たんなる非難とは分けて見られる。

 お上が決めたことだとはいっても、その範ちゅうの中にはさまざまな価値をもつものがある。正の価値ばかりではなく、負の価値をもつものがあるし、客観(絶対)ではなく主観(相対)によっている。

 お上が決めたことはいついかなるさいにもどんなことであっても正しいのだということは言いがたい。無条件に正しいとはならないし、無条件にうのみにしたり受け入れたりしないほうがよいことはある。

 お上が決めたことに何でもかんでも否定するとか逆らうというのではないとしても(かりにそうであったとしても)、お上が決めたことをどう見なすのかは、それぞれの主権者(国民)の自由だ。国家の公が幅をきかせず、個人の私がさまざまな見なし方ができたほうがよい。

 参照文献 『青年教師・論理を鍛える』横山験也 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『公私 一語の辞典』溝口雄三