日本をよくするために、政権についている政治家が、ポトラッチによる贈与を行なうようにするのはどうだろうか

 日本の政治をよくするには、ポトラッチによる贈与を行なうようにする。ふつう、政治家が政権につくと、政権についている自分に不利になることを行なおうとはしない。政権についている自分に不利になることであっても、日本の政治のこれからにとって有益になることがある。これを行なわないことは、日本のこれからにとって損失だ。

 ポトラッチは社会学者のマルセル・モースが紹介したものだ。アメリカのインディアンのチヌーク族による言葉で、日本語ではまつるの意味だという。贈与の行為によって気前のよさを示す。(自分たちの富の)破壊にまでつながることがある。

 政権についている政治家に不利になることだとしても、あえてそれを行なう。日本のこれからにとってよいことであるのならそれを行なうようにする。そうすると、政権についている政治家にとって不利にはなるが、不利になることでもそれを行なうということによって、ポトラッチによる贈与のようになって、自分たちのすごさを他に示せる。

 政権についている政治家にとって有利か不利かというのは置いておけるとすれば、そのことにしばられないでものごとを行なうことができる。これができないと、政権についている政治家にとって有利か不利かが大きくものを言うことになって、日本のこれからにとってためになる創造性のあることをしづらい。

 創造性を持たずに、非創造性になることが現実には少なくない。そうなってしまうのは、政権についている政治家にとって有利か不利かというのが、ものごとを行なうさいの隠れた暗黙の前提条件になることによるのがある。

 日本のためとしつつ、じっさいには政治家が自分の得る利益(票)を失わないように気を配るのは、限定された有用性の回路の中にとどまっている。それとはちがい、自分の得る利益を失うことになるのをいとわずに、日本をよくして行くことを探ることができるのであれば、(有用性ではなく)至高性の領域に関わってくる。貴人ということができるだろう。そこまでをのぞむのは現実論としてはかなり難しいものだ。

 参照文献 『貴人論』宮原浩二郎