日本とアメリカにおける、内と外とのあいだの線引きのしづらさ―内と外とのあいだの相互流通性や相互交流性

 アメリカのドナルド・トランプ氏がアメリカの大統領としてもっともふさわしい人物だ。トランプ氏がアメリカの大統領でありつづけるためには支持者の一部が犯罪を行なうのもやむをえない。トランプ氏がアメリカの大統領であることによって日本の国が守られるのだから、法の決まりに反する力の行使もいたしかたがない。アメリカが軍事政権や独裁主義になっても受け入れられる。ツイッターのツイートではそう言われていた。

 ツイートで言われているように、アメリカの国にとってよいのがトランプ氏が大統領であることであり、そのことによって日本の国が守られるのだろうか。そのことについてを内集団と外集団と、信頼性によって見てみたい。

 心理学においては人間の心理として自分が属している内集団をひいきすることが言われている。内集団をとくによしとする認知のゆがみだ。それでいうと、日本の国民が自分の内集団にあたる日本の国のことをひいきするのはわからないことではない。それをとびこえて、日本の国にとって外集団にあたるアメリカの国のトランプ氏のことをひいきするのはどういったわけだろう。

 日本の国にとってはアメリカはいっけんすると外集団にあたりそうだが、かならずしもそうだとは言えないのがあるのかもしれない。内と外とは完全に分けられるものではなくて、内と外とのあいだの境界線が引きづらくなっている。日本の国民にとって日本とアメリカとはお互いに内集団と外集団に分けられるのではなくて、アメリカも内集団だと見なすことはできないことではない。そう言えるのがあるかもしれない。アメリカのトランプ氏にたいしてもやりようによっては内集団ひいきを適用することがなりたつ。

 日本の国民にとってアメリカのトランプ氏は内集団に当てはまるが、新しくアメリカの大統領につくジョー・バイデン氏は外集団に当てはめられる。そういう分け方が行なわれているのがある。トランプ氏と同じようにバイデン氏もれっきとしたアメリカ人であるのにもかかわらずだ。この分け方はトランプ氏を強く支持する人によるものだ。

 どのような分け方もなりたってしまうのがあり、ひとつには日本の国民にとってアメリカのトランプ氏もバイデン氏もどちらも外集団に当てはめられる。つぎに日米の結びつきやグローバルな地球の規模の視点からすれば、日本の国民にとってトランプ氏もバイデン氏も内集団に当てはめられる。さらにトランプ氏を強く支持する人からすれば、日本の国民にとってトランプ氏は内集団にあたるがバイデン氏は外集団にあたる。

 共通点と相違点の点から見てみられるとすると、日本の国民にとってアメリカのトランプ氏もバイデン氏もどちらも相違点をもつ。どちらも相違点をもつのは日本とアメリカとで国がちがっているからだ。そのいっぽうで国民国家どうしや人間どうしとしては同じだから、日本の国民にとってトランプ氏もバイデン氏も共通点をもつ。日米の結びつきからもそう言える。それとはちがい、トランプ氏を強く支持する人からすると、日本の国民にとってトランプ氏とは共通点をもつが、バイデン氏とは相違点をもつ。

 人それぞれによって思想がちがう(several men,several minds)ことをくみ入れられるとすると、みんながもっている思想がちがっていることがありえる。それぞれの人がいだく遠近法(perspective)がちがう。日本の国民の中でもそれぞれの人がもつ遠近法はちがうし、日本の国民とアメリカのトランプ氏やバイデン氏とでもそれぞれがちがった遠近法をもつ。だからそのちがいのところを見られるとすると、たがいに絶対の信頼をし合っているとはいえそうにない。

 現実においてはたとえ日本人どうしであったとしても、また日本の国民とトランプ氏やバイデン氏とのあいだであったとしても、絶対に信頼し合うことはなりたちづらい。それはきびしく見れば幻想に近い。無理やりに上から信頼し合うことを強いるのであれば全体主義のあり方になってしまうだろう。全体主義になるのを避けるようにして、みんながばらばらなくらいであってもよい。個人を尊重するようにして、それぞれの個人は人間としては同じ者どうしだが、それとともにそれぞれがちがいをもつ。個人主義の点からはそのあり方をよしとすることができるだろう。

 参照文献 『徹底図解 社会心理学山岸俊男監修 『思考をひらく 分断される世界のなかで』(思考のフロンティア 別冊) 姜尚中(かんさんじゅん) 齋藤純一 杉田敦 高橋哲哉 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや)