日本の社会に欠けている、おもてなしと客むかえ(ホスピタリティ)―二〇二〇年の東京五輪と入国管理

 韓国は、日本にたいしてけちをつけてくる。日本では原子力発電所の事故がおきたことで、放射能の悪い影響はないのかや、それが調べられていて知らされているのかを韓国は気にしているのだ。

 二〇二〇年に開かれる東京五輪で、韓国の選手団が日本にやって来るが、そこで韓国の選手団が放射能の被害を受けないかどうかを心配しているのだ。それについて日本の報道機関では、いちいち日本にけちをつけてくるのはおかしいということで、韓国が日本に来るのが嫌なのであれば来なければよいとか来なくてもよいとかといったことを言っていた。

 東京五輪ではおもてなしということが言われている。こんなことではたしておもてなしをすることになっていると言えるのだろうか。

 おもてなしというのは、日本に友好な人たちをもてなすことでこと足りるものではない。日本にけちをつけてくる人たちをもてなしてこそ、おもてなしをするということになる。日本に友好な人たちをもてなすのは、簡単なことであって、それほど難しいことではない。日本とは友好とは言えないところがある人たちをもてなしてこそ、おもてなしをするということになる。

 日本の国内では、入国管理局において、日本にやって来た外国人にたいして人権の侵害がおきている。なぜそうしたことがおきるのかというと、国家主義によって太い分断線が引かれているためだろう。入国管理局の中では、日本にやって来た外国人が、日本人ではないそれ以外ということになって、国家主義による太い線引きが引かれることになっていることがうかがえる。それによって人権の侵害が引きおこされる。

 日本にたいしてけちをつけてくるのが韓国であって、韓国にたいしてはおもてなしをしなくてよいだとか、または入国管理局において日本にやって来た外国人にはおもてなしをしなくてもよいだとか、そういうことではたしてよいのだろうか。これは何もそれらだけに限られることではなくて、日本の社会の全体に関わってくることだという見なし方がなりたつ。

 日本が国として敵だとしたりうとましいとしたりする者にたいして、とても冷たいしうちをするのであれば、それは日本の社会の中において差別や不正義がはびこることを許すことを示す。東京五輪における韓国にたいしてや、入国管理局における日本にやって来た外国人にたいして見られるおもてなしの欠如は、日本の社会の全体が差別や不正義の温床となっていることをさし示すのだと言ったら言いすぎになってしまうだろうか。

 参照文献 「排除と差別 正義の倫理に向けて」(「部落解放」No.四三五 一九九八年三月)今村仁司ナショナリズムカニバリズム」(「現代思想」一九九一年二月号)今村仁司