日本に観光でやって来てくれる韓国人の数を増やすことの、日韓の友好における有効性―数字にはね返ってくる

 日本にやって来てくれる韓国人の旅行客が大きく減った。一ヶ月でおよそ五割弱ほど減ったのだと報じられている。

 日本と韓国とが仲よくする。そのことと、日本に韓国人の旅行客がたくさんやって来てくれることには、関係がない。そう見られているのがあった。

 これまでに韓国人が日本に旅行客としてたくさんやって来てくれていたのに、日本と韓国との国どうしの関係は悪くなってしまっている。日本に韓国人の旅行客がたくさん来てくれることは、日韓の友好には有効性がなかった。そういうことが言われていた。

 はたして、韓国からの観光客を多く日本にまねくことと、日韓の友好とは結びつかないものなのだろうか。それについては、それなり以上の有効性があるのではないだろうか。日本は韓国からやって来る観光客を、もっとどんどん受け入れるようにして、その数が多くなるようにできるだけ努めるべきだ。

 韓国人が日本に観光でやって来てくれる。日本にやって来てくれる韓国人の観光客の数が多くなることで、日本にとってとくに損になることはない。日本にとっては、観光客が日本でお金を落としてくれることで、経済の利益になる。

 一ヶ月で、韓国人が日本に観光にやって来てくれる数が五割弱も減ってしまったが、そのわけとしては、日本の政府が愚かなことをやっているせいなのが大きいのではないだろうか。その愚かさに、大手の報道機関の多くは追随してしまっている。とくに日本の時の政権に批判を投げかけてはいない。むしろ(なぜか)韓国の政府に批判を投げかけている。

 韓国人の訪日観光客の数が多ければ、その数字は健康診断の数値みたいに見なすことができる。日本の時の政権が愚かな対外の外交の政策をすれば、それがその数値の減少という形ではね返ってくる。韓国人の訪日観光客が減少する。数値が減ったとすれば、それは韓国の病理というよりは、むしろ日本の時の政権の病理のおそれが低くない。それにくわえて、日本の大手の報道機関が抱える、国家のイデオロギー装置としての病理をあぶり出す。

 日本に観光にやって来てくれる韓国人の数が多いのは、日本の経済の利益につながることだから、よいことだろう。経済の利益は、理と気の枠組みでいえば気に当たるものだが、その気を捨ててまでも、日本の理を優先させるべきなのだろうか。日本の経済の利益つまり気が減るということは、日本の時の政権による理に少なからずおかしいところがあることを示しているのではないだろうか。

 あたかも健康診断の数値のように、ものさしにつかえるところがあるので、韓国人の訪日観光客の数が増えるのはよいことだし、日韓の友好にとって有効性がけっこうあるのだと見なしたい。

 数字というのは、そこにどういう意味を読みこむのかということで、主観が入りこむものではあるし、ただ一つの意味に定まるものではないだろう。絶対にと言えるくらい確かなものではないにしても、韓国人の訪日観光客が大きく減ったことは、日本の時の政権が賢い対外の外交の政策をなしたためだとは言えそうにない。日本が得られる観光による経済の利益である、受けとれる気の量が減ってしまっているのは無視できない。

 日本の時の政権の本意としても、韓国からの訪日観光客が少なくなるよりは、多くなる方がよいのにちがいない。少なくなることをのぞんでいるのではないのにちがいない。日本の経済にとって損になることではなくて、得をもたらすものなのだから。

 とってつけたように、苦しまぎれのように、日本の時の政権はあわててこう言っていた。日本と韓国は国どうしは政治で対立してしまっているが、民間では交流し合うことがのぞましい。そう言っているのがあるので、韓国からの訪日観光客を少しでも多くむかえ入れることは、基本としては日本の国としての動機づけに適合していることであるし、それなりに合理的なことだと言えるのではないだろうか。

 参照文献 『韓国人のしくみ 〈理〉と〈気〉で読み解く文化と社会』小倉紀蔵(きぞう) 『姜尚中にきいてみた! 東北アジアナショナリズム問答』姜尚中(かんさんじゅん) 「アリエス」編集部編 『ダメ情報の見分けかた メディアと幸福につきあうために』荻上チキ 飯田泰之 鈴木謙介