日本が国として謝るさいにとれそうな工夫―参照点を引き下げる

 日本はいつまで謝りつづけないとならないのか。いつまで他国から責められつづけないとならないのか。過去の戦争にまつわることで、そういうことが言われていた。

 この問いかけについては、そうあるべき規範としての答え方を言うのなら、日本はこれから先もその必要があるかぎりきちんと謝りつづけるべきだろう。ただそう言うだけだと、すべての日本人に説得性をもって受け入れられはしないかもしれない。

 いつまでという時間のことに関しては、微分化するのはどうだろうか。これから先においてずっと日本は謝りつづけたり責められつづけたりするというのは、積分化したとらえ方だ。そうではなくて、一年から一年とか、一定の時間を区切って、微分化して分割することで、その時間の中ではさしあたってきちんと謝るというふうにすれば、先のことを案じなくてすむ。

 日本が過去におかした戦争などのあやまちにたいして、いま日本ができることは何かということで見てみると、二者択一によることがなりたつ。日本が加害者となって被害を与えた他国の人々にたいして、どうしても謝りたくはないというのではないのであれば、そこはゆずれるところだ。譲歩できるのである。そのようにして、ゆずれるところとゆずれないところを二者択一で振り分ける。ゆずれるところについては、うんとしきい値(参照点)を引き下げてしまう。

 しきい値(参照点)が高くなってしまっているから、謝ることができづらくなっているのである。それを意識してしきい値を引き下げてしまうことによって、行動をふみ出しやすくなる。日本の国としての自尊心(プライド)がへたに高くなっていることで、それが邪魔になってしまい、しきい値が高くなることにつながる。それは、日本が国としてゆずることが下手だということだ。

 日本の国として下手なところを改めて上手くやるようにして、二者択一でゆずれるところであれば、うんとしきい値を引き下げてしまって、はっきりとしためりはりをつけるようにする。何でもかんでもゆずるべきだとか、日本の国としての自尊心を完ぺきに捨てろとかということではなくて、日本と韓国などとのあいだにある紛争をうまく片づけるために、大局に立ったうえでの日本の国益というものをとるための試みだ。

 参照文献 『最後に思わず YES と言わせる最強の交渉術 かけひきで絶対負けない実戦テクニック七二』橋下徹微分積分を知らずに経営を語るな』内山力(つとむ)