ウイルスへの感染の対応の中にかいま見られる、日本のいまの政権や与党の性格

 新型コロナウイルスへの感染の広がりに、日本のいまの政権はうまく対応していると言えるのだろうか。それについては、社会民主主義の弱さ、新自由主義のあり方、(まっとうな)政府の不在、時代と錯誤した反動の保守性、政策の需要と供給のずれ、などがあげられる。

 日本ではないほかの西洋などの国では、ウイルスへの感染に対応する中で、社会民主主義の動きが見られる。社会民主主義は、社会主義を民主主義によってなそうとするものだとされる。

 社会主義は資本主義に破れた(負けた)時代遅れのまちがったものだとされるのはあるが、資本主義の本場であるアメリカでは社会主義をよしとする動きが一部の若者のあいだなどでおきているのは見のがせない。大統領候補のバーニー・サンダース氏への支持にもそれが見てとれる。社会主義か資本主義かの二者択一ではなくて、それらを混合したさいの比率の問題だとも言える。

 ウイルスへの感染が広まっているために経済の活動が制限されることで国民の生活が苦しくなる。それを救うための物質の策がさまざまな国ではとられているが、日本はこの点がやや手薄で弱い。政治における温かい義理や人情が見えてきづらい。

 国民を救う策が手薄なのは、日本のいまの政権が新自由主義によっているためではないだろうか。市場が正しいとしていて、市場に任せていれば何とかなるのだとしている。市場における経済の勝者と敗者は、勝者になる人が正しくて敗者になる人はその人が悪い。

 アメリカは新自由主義が強いが、そのアメリカよりも部分的にさらに強いようになってしまっているのがいまの日本だととらえられる。というのも、アメリカはウイルスへの感染に対応する中で、個人に焦点を当てた救う策をそれなりにとっているようだが、日本はアメリカよりも劣っていて、救う策が十分にとれていないで、放ったらかしになってしまっているきらいがあるのがいなめない。

 日本が部分的にアメリカよりもさらに強い新自由主義になっているように見えるのは、日本には政府が不在なためなのかもしれない。日本には一見すると(ほかの国と同じように)政府があるようでいてじつはない。政府なき国なのだということが一つの意見として言われている。政府が主体となって指導性をもって国民にわかりやすく説明を尽くしながらものごとを主導して行くことがのぞみづらい。

 困っているのは個人なのだから、個人にたいして手助けができればよいが、日本のいまの政権や与党である自由民主党は、いまだに個人ではなくて世帯の単位の発想から抜け出せていない。一人ひとりの個人ではなくて世帯にたいして手助けをしようとしているし、すべての世帯にたいして布マスクを二枚ほど配ろうとしている。一人の世帯もあれば多人数の世帯もあるのにも関わらずだ。

 多くの国民から、ぜひとも布マスクを一つの世帯にたいして二枚ほど配ってほしいという声があがっているのだろうか。そういう声がたくさんあるのなら、そうした政策の需要があることになるから、それをくみ入れた政策の供給が行なわれてもよいものだろう。そこがかみ合っていなくて、国民がとくに強くのぞんでもいないような政策が供給されているようである。政策の需要と供給がかみ合っていないのが少しでもうまくかみ合うことになればのぞましい。

 参照文献 『日本を追い込む五つの罠』カレル・ヴァン・ウォルフレン 井上実(みのり)訳