ときめくかどうかという片づけ術のものさし(判断基準)

 日本の片づけ術が、アメリカでとり上げられている。自分がときめかないものはいらないものであって、捨ててしまってよいという。断捨離に通じるものだ。

 より上位(メタ)の視点に立てるとすると、この片づけ術にときめかないのであれば、この片づけ術そのものを片づけてしまうということもありだろうか。片づけるというか、やらなくてもよいと見なす。片づけることにときめかないのなら、片づけることを片づける(やらない)ということができる。へ理屈ではあるが。

 ときめくというのはよいことで、ときめかないのはよくないことだ。ときめく物はよいものなので残して、ときめかない物はよくないので片づける(捨てる)。このさい、ときめくというよい価値や、ときめく物はよい物なので残す(ときめかない物はよくないので片づける)という仮説の価値を改めて見られる。

 片づけるさいに、物を残すか捨てるかで、ときめくということをもってして物を残してよいのかがある。物を残すまたは捨てるときに、ときめく(ときめかない)ことがなければならないのなら、ときめく(ときめかない)ことは必要条件だが、その条件でよいのか。ときめけば(ときめかなければ)よいのであれば十分条件だが、そうと見なせるのか。ときめく(ときめかない)ときにかぎるのであれば必要十分条件だが、そうであるのかを見られる。

 片づけ術に水をさすようではあるが、必ずしもときめくかどうかというものさしにこだわらないのであれば、何々でなければならないという必要条件や、何々であればよいという十分条件や、何々であるときにかぎってよいという必要十分条件を改めて見ることができる。ときめくかどうかというのは手段であって、その手段の適切さは万人に当てはまる絶対のものだとは言えそうにない。