どうでもよいことであるのなら、首相の名前による呼び名が案件に名づけられることはなさそうである

 財務局では、安倍事案と呼ばれていた。財務局の関係者は、内部ではそのように見なしていたという。いっぽうではそうであるとして、他方では安倍晋三首相は疑惑への関与を否定している。この二つを折衷(せっちゅう)すると、安倍事案とは何かといえば、それは安倍首相が関与していないことである、となる。安倍首相が関与していないものを、安倍事案と呼んでいたことになる。

 関与はなかったが、関与はあった、といったことになってしまう。名は体をあらわすというのがあるのをふまえると、首相の関与はあったと見ることができるものだろう。もし関与がないのであれば、安倍事案とは呼ばれないはずであり、そう呼んでいたのは適したものではなかったことになる。

 安倍事案と呼んでいたのは、一つのメタ言語であるといえそうだ。あつかっていることがらについて、(それを)安倍事案として見よ、というのがメタ言語によってとられる。安倍事案として見ることがいらないのであれば、安倍事案という呼び名のメタ言語を用いるのはいらない。安倍事案として見なくてもよいものであるのなら、安倍事案という呼び名のメタ言語は用いられなかったというのがある。

 あつかっていることがらについて、安倍事案という呼び名をとることがいるものだったから、安倍事案という呼び名が用いられるようになった。このことを報じた報道機関による記事が、偽りではなくて本当のことであるとすると、そのように言うことが一つにはできそうだ。たとえば、とりあつかっていることがらについて、それを何の呼び名もなしにすることもできるわけだけど、そうではなくて、首相が関わることだとして、重要なことがらであるとの認識から、安倍事案という呼び名がとられた。解釈としてそのように見なすことはできそうである。ほかの見なし方もできるのはあるだろうけど。