新型コロナウイルスは人間の脳の中にしかないものなのか―人間と野生の動物とのちがい

 新型コロナウイルスは人間の脳の中にしかない。脳の中から消えれば新型コロナウイルスは消える。ツイッターのツイートではそうしたことが言われていたが、そこで言われているように脳の中にしか新型コロナウイルスはないのだと言えるのだろうか。

 記号の点から見てみられるとすると、ウイルスとしての新型コロナウイルスとは別に、記号表現(signifiant)としての新型コロナウイルスがあることになる。記号表現としての新型コロナウイルスは、脳の中にあるものだと言えるかもしれない。

 人間の社会においては、どこの国であったとしても、いまは新型コロナウイルスの感染が大ごとになっている。ウイルスの感染にたいして大さわぎになっている。感染が広まることに手を焼いている。世界がグローバル化していることが影響しているものだ。

 人間の社会とはちがい、自然の世界に生きている動物たちはどのように生きているのかといえば、新型コロナウイルスはどこ吹く風といったところだろう。ウイルスのことを知らずに動物たちは生きている。ウイルスに感染したとかしないとかといったことは動物たちが生きて行く中では関わりがないことだろう。

 人間と動物とのこのちがいがどこから来ているのかといえば、人間は言葉をもっているが、動物はそれをもっていないことだろう。人間は言葉を用いることによって、ウイルスを記号化できる。記号をとらえるのは人間の大脳によることだ。世界をさまざまな記号によって分節化してとらえているのだ。空なら空、地面なら地面といったようにである。分別のはたらきだ。

 ロシアの生理学者のイワン・パブロフ氏は条件反射を発見した。その条件反射のより高次のものが人間が言葉を用いることだ。人間の大脳によって営まれる営みだ。

 ご飯の時間を知らせる音が鳴ると、よだれが出る。これが条件反射である。音が鳴ることとよだれが出ることとは必然性によって結びついているのではない。必然性にはよらずにそれらの結びつきが形づくられるのである。可能性としていろいろな結びつきが形づくられる。

 ウイルスは目で見えないくらいに小さいものだから、それについてをとらえるのはもっぱら記号化された記号による。そのさいにそれをになうのは人間の大脳による。

 具体の物をとらえるのは条件反射のうちで第一信号系だとされる。それを言葉としてとらえるのは第二信号系だ。ウイルスは第一信号系ではとらえづらいものだから、第二信号系によることになる。

 第二信号系のところだけをとり上げてみると、ウイルスは人間の大脳の中にしかないことになる。第二信号系だけで完結しているのかといえば、そうとはいえず、第一信号系もまた関わってくるものだろう。

 人間の体には自然治癒力がそなわっていて、ウイルスに感染したさいにはさまざまな症状がおきてくる。せきやくしゃみが出たり熱が出たりする。それらによってウイルスを体の外に出そうとしたり体内で殺そうとしたりする。ウイルスにたいして体が自然に反応していることをしめす。これは体による無条件反射に当たるものだろう。

 ウイルスにたいして体が無条件反射をすることをくみ入れられるとすると、新型コロナウイルスは人間の脳の中だけにあるのだとはいえないかもしれない。体が反応をおこすのがあるから、それを引きおこすもととなる物体であるウイルスのことを名づけて記号化したものが新型コロナウイルスだといえそうだ。名づけて記号化するさいには、どういう呼び方をしてもよくて、呼び方には恣意(しい)性がある。COVID-19 と呼ばれたり、世界のさまざまな国のさまざまな言語で多少のちがいをもった形でいろいろに呼ばれたりすることになっているものだろう。

 参照文献 『死に急ぐ鯨たち』安部公房記号論』吉田夏彦