政権に批判をする官僚のあつかい―無びゅう性と可びゅう性

 政権のやろうとすることに、官僚が批判を投げかける。政権が上で官僚が下だとすると、下が上のやることに批判を投げかける。

 新しく首相になった自由民主党菅義偉氏は、政権のやることに官僚が批判をしたとするのなら、その官僚をほかのところに異動させると言っていた。じゃま者は周縁や辺境に追いやるということだろう。

 新しく首相になった菅氏が官僚のあつかいについて言っていることは正しいことなのだろうか。このことを無びゅう性の点から見てみられるとすると、官僚の無びゅう性の神話を政権がうばいとったものだ。政権は無びゅう性をもつのだから、どのような他からの批判も当たらないのだとする。

 まちがいをおかすことは避けられずに合理性の限界をもつのが人間なのだから、官僚も政権もともに可びゅう性をもつ。無びゅう性の神話にはよらないようにして、さかのぼればこれまでに数々の政治のまちがいをしでかしてきたのがあることを見るようにして、なおかつこれから先にも数々の政治のまちがいをしでかすことをくみ入れるようにしたほうがやや安全だ。

 菅氏が言っているように、政権のやることに官僚が批判を投げかけたさいに、その官僚をほかのところに異動させてしまえば楽ではあるだろう。ただそのようにしてしまうと、その場かぎりの局所の最適化にはなったとしても、理想といえる大局の最適化にはならないおそれがおきてくる。まちがった方向に進んでいってしまう、局所の最適化のわなにはまるおそれが小さくない。

 だれもがうなずけるようなものであるような純粋に正しいことを政治でなすのはむずかしいのがあり、そうしたことが行なわれることはあまり多くはないだろう。だいたいが賛否が分かれるようなことをすることが多いし、また色々な利害や思わくがからんだことをおこなうことがめずらしくない。不純なものである。そこからまちがいや不正がおきてくることになる。

 上の者である政権のやることを、下の者である官僚はただすなおにしたがう。このあり方に効率性の利点があるのだとしても、欠点があるとしたらどういったところにあるだろうか。欠点としては、適正さが必ずしもないことだろう。適正さが欠けることになるのは、下の官僚が上の政権の顔色をうかがい、そんたくをして、空気を読む。和は重んじられるが、理がないがしろになりかねない。非理が多くまかり通ることになるのは、菅氏の前の首相の政権でよく見られた。

 まったくもって正しいことを上の者である政権がやったり言ったりするとはかぎらない。まちがったことをやったり言ったりすることがおきてこざるをえない。政権は合理性の限界をもつ。その限界をないことにして、絶対の合理性をもつのだとしてしまうと、権威主義におちいる。上の政権がやることや言うことが、まちがいなく正しい最終の結論だと見なす誤りがおきてくる。

 まちがいなく正しい最終の結論だと見なすのではなくて、あくまでも仮説にすぎないものだと見なす。政権が絶対に正しくて、それにたいする他からの批判が絶対にまちがっているとしてしまうと、一か〇かの単純な二分法におちいる。味方か敵かの単純な友敵理論を持ち出すことになる。

 単純に味方か敵かで分けるのではなくて、たとえ敵であってもむかえ入れるようにして行く。味方だけで閉じてまとまらないようにして行く。合理性に限界があることをくみ入れるようにして、一か〇かのあいだの中間の灰色を見るようにして、一〇割の正しさや一〇割のまちがいだとはしないようにする。

 一〇割の正しさをもつのだとしてしまうと、それが教義(ドグマ)になってしまうから、それは避けたいところだ。最終の結論と見なすと教義になってしまうから、そう見なさないようにして、あくまでも政権のやることや言うことは仮説にとどまっているとする。その仮説がどのていど正しくてどのていどまちがっているのかの度合いを見て行く。

 政権のやることや言うことに多かれ少なかれまちがいが含まれるのは避けられないから、他からの批判を受け入れるようにして、双方向のやり取りをして行く中で修正をきかせて行く。交通では単交通や反交通にならないようにして、双交通になるようにして行く。単交通や反交通でただ一方向にだけ進んで行くのだと、修正をきかせづらいから、まちがった方向(ベクトル)に進んで行く危なさを避けづらい。政権が現実から離れた虚偽意識と化すことの歯止めがきかなくなり、どんどんおかしなことが行なわれると(現在と未来の)国民の利益にならなくなる。

 参照文献 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫 『考える技術』大前研一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『言の葉の交通論』篠原資明(しのはらもとあき)