首相は悪いできごとを他人ごとにしすぎているように映る―距離をとりすぎている

 前法相とその妻の政治家が逮捕された。公職選挙法に違反したうたがいによる。与党である自由民主党が選挙の不正な買収にかかる費用を出したのだという見かたがとられている。

 このことについて首相は法相に任命した責任があるといい、それを痛感しているという。すべての政治家がえりを正さないとならないとして、政治家には説明責任があるのだとしていた。

 首相は責任を痛感しているといつものように言っているが、それをうのみにすることはできるのだろうか。責任者の責任を薄めるかのように、政治家の一般のことであるかのようにそれとなくすり替えているようにしているのはふさわしいことなのだろうか。

 首相が言っていることでは、あたかも他人ごとであるかのように言っているのが見うけられる。他人ごととしてではなくて、自分ごととして引き受けなければならないものを、その引き受けをこばむあり方がいつもより以上にきわ立つ。そこにあやしさがぷんぷんとにおうと言ったら言いすぎだろうか。

 距離のとり方として、自分に関係ないことについては距離を大きくとるのでもよいだろう。それなりに関係があることについてはそれなりの距離をとって近づけるかまたはやや遠ざける。かなり関係があることについてはうんと距離を近づけないとならない。

 前法相とその妻が逮捕されたことについては、首相はそうとうに関係していて、関係が深いのだとされているのがあるから、うんと距離を近づけて行かないとならない。距離を離して他人ごとにするのではなくて、距離を近づけて自分ごとにすることがいる。首相のあり方は、距離を近づけなければならないのを、それをこばんでいて他人ごとであるかのように言っている。ここがおかしいところだろう。

 距離を近づけて自分ごとにしないとならないのを、距離を離して他人ごとみたいに言っているのに違和感をぬぐい切ることができない。よいことがあったら、自分が関わりが薄いことでも強引に自分ごとにしてしばしば便乗するいっぽうで、悪いことがあったら、自分に関わりが深いことでもつき放して他人ごとにする。よいことであれば自分に距離を近づけて、悪いことであれば自分から距離を離す。よいことは自分の中に取りこんで、悪いものは他に押しつけるあり方だ。

 どういう距離のとり方がふさわしいのかがあって、それに応じて他人ごととするのか自分ごととするのかが変わってくる。距離が遠ければ他人ごととしてもよいが、距離が近いのなら自分ごとにしないとならない。前法相とその妻が逮捕されたことでは、首相はそうとうに関係が深いのがあるとすると、他人ごととしている首相の距離のとり方はふさわしいものとは言いがたい。自分ごととするようにして、自分が引き受けるようにして、どんどん深く関わって行くようにしなければならない。関わり方が浅いままだと他人ごとにしていることをあらわす。

 時の権力者がものごとをうやむやにしようとすれば、それはあるていど以上にできてしまう。権力者は権威による力をもつからである。それでほんとうのところが闇にほうむられる。そのようにしてほんとうのところが闇にほうむられたことはこれまでに少なくない。これは、時の権力者が、ものごとについての間合いをとりすぎることによっている。

 ものごとについての間合いをとりすぎるのは、あるべきではないことであって、それをとりすぎないようにして近づけて行くようにすることが、説明責任を果たして行くことだろう。説明責任を果たして行くことがいるのは、前法相や妻であるより以上に、首相においてあることだ。任命されたことの責任は前法相にはないが、首相にはその責任があるから、そのことにまつわる前法相に代わっての説明責任があるし、組織の長としての組織の成員にたいする責任もまたある。

 ものごとが少しでも明らかになるような方向に努めて行くことがいるのがあるから、その努めを果たしてほしいものである。その努めを果たさないで、自分ごととして引き受けるのではなくて、他人ごととして距離や間合いをこれまでと同じようにとるのであれば、そこに違和感がおきるのをぬぐい切ることができない。責任や義務をまっとうに果たしているとは見なしづらい。

 参照文献 『間合い上手 メンタルヘルスの心理学から』大野木裕明(おおのぎひろあき) 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし)