五輪におけるアスリート・ファーストへの若干の疑問

 二〇二〇年に開かれる予定の東京五輪は、延期されることもありえる。首相はそう述べていた。アスリート・ファーストであることがいるとして、新型コロナウイルスへの感染が世界で広がっていることをくみ入れたうえで決めることがいるとしている。

 そもそも、高温多湿の東京都の夏の時期に五輪を開くことそのものがアスリート・ファーストとは言えないものだという気がしてならない。

 東京都は人口が過密なために、生活から出る排水が多く、川や海の水の汚染が深刻だが、その中で水の中での競技が行なわれるのは、アスリート・ファーストとは呼べそうにない。選手の健康への害が危ぶまれる。

 もともとがアスリート・ファーストとは言えない部分があるから、その土台の上に、新型コロナウイルスへの感染の広がりを受けてアスリート・ファーストを持ち出されても、もうひとつ説得性がないように響く。

 五輪そのものが商業主義になってしまっていると言われている。誰にとって何のために五輪を開くのかが十分にはっきりとしているとは言いづらい。正の効用もいくらかはあるとは思うのだが、改めて目的や存在理由を見直すことがあったらよい。

 参照文献 『シドニー! コアラ純情篇 ワラビー熱血篇』村上春樹