日本の政治と改善―改善の欠如といまの政権の安泰

 日本の政治のあり方で、もっと改まったほうがよいことは色々とありそうだ。大きなことだけにかぎらず、中くらいや小さいことであっても、ここをもっとこうしたほうがよいといえるところは少なくない。

 民間の自動車会社のトヨタ自動車では、改善(カイゼン)がよしとされていて、できるだけ悪いところを見つけて行って、それを改めて行くのがよいことだとされる。それと同じことが政治でも行なわれればよい。

 いまの首相による政権にとって都合がよいのは、改善が行なわれないことだ。改善が行なわれないままにあるのは、他律によることである。他律によっていると、これまでやいまにおいて行なわれていることが自明であるとされたり、(これが自然なのだと見なされる)神話作用がはたらいたり、または無関心になっていたりする。

 他律による慣習をそのままよしとするのではなくて、自律によるようにして改善をして行くことができればよい。自律によるのは反省や対話を行なうことである。説明責任を十分に果たして行く。

 社会や政治の中にある色々なまずいところを改めて行くことができれば、いまの首相による政権のもっている力を削って行くことが見こめる。いまの政権は他律によっていることでなりたっているので、それを少しでも変えて行くようにして、自律になるようにして行ければ、政権の力は削がれることになるだろう。

 自律が欠けてしまっていることで、(政権が)無反省になっているからこそ、政権の力は保たれる。政権の力が保たれているのは、対話や説明責任を果たすことが欠けていることによっているのがあるから、そこはきびしく言えば批判をせざるをえない。

 一か〇かや白か黒かの二分法におちいるのを避けられるとすれば、いまの政権が完全に力をもっているか、それともまったく力がなくなってしまうかのどちらかではなくて、持っている力について疑いをさしはさめる。現実に根ざしている力だとは言いがたいところがある。

 政権がまったく無力だと言ってしまうと言いすぎになるのはあるが、ことわざで言われる石橋を叩いてわたるでいうと、政権をかりに石橋だとすると、それを確かめるために試しに強めに叩いてみたら、かんたんに壊れてしまうほどに頼りない(または無責任な)ところがあるのではないだろうか。まちがいなく誰からどう見ても頼りになるほどしっかりとしているとは言い切れそうにない。

 参照文献 『倫理学を学ぶ人のために』宇都宮芳明(よしあき) 熊野純彦(くまのすみひこ)編 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『トヨタ式「スピード問題解決」』若松義人