近道と遠まわりの逆説

 近道と遠まわりがある。こうすれば近道になるというのが示される。こうすれば遠まわりになってしまい、時間を無駄にするからよくないと言われる。

 近道のほうがよくて、遠まわりのほうが駄目だとは、必ずしもいちがいには言うことはできないのかもしれない。

 あせってしまっていると、近道だと示されたものを何とかしてやろうとして、遠まわりになるのを避けようとする。それで近道を行こうとするのだけど、それがかえって遠まわりになってしまう。そんな逆説がはたらく。

 たとえ近道だとされているものをやろうとしても、いずれにせよ遠まわりにならざるをえなくて、遠まわりしか選びようがないのかもしれない。あせりが空回りするせいか、どうしても近道を行くことはできなくて、時間をむなしく無駄にしてしまうことになる。

 心理においては、従順と反発の二つがあって、従順になりながらも反発をするところがあるのかもしれない。完全に従順にはなり切れなくて、反発してしまうところがあるので、わき道にそれて行こうとしてしまう。わき道にそれることによって視野が広がる効用もないではない。

 時間は不可逆だから、あとに戻ってまたやり直すことができないので、遠まわりだと時間が無駄になる。それが多少はわかっているのがあるから、それをくみ入れようとして、近道を行こうとすればするほどかえってそこから遠ざかってしまうことがある。理想論としては近道を行きたいのだが、現実論としては遠まわりを選んでいるというしまつだ。要領がよくなくて、凡人中の凡人であるせいでそうなるのかもしれないから、それはある意味ではしかたがないことではある。