愛国と自己保存―自己保存だけでは十分ではない

 ただ日本のことを愛しているだけだ。お笑い芸人はそう言っていた。ここで言われる愛というのは、自己保存のことだと見なせる。

 日本の国を愛するのは自己保存だと見なせるが、それだけではものごとがうまく行くとは見なしづらい。

 自他がいるとすると、自分への愛は自己保存となるものだが、他への愛もまたいることである。他への愛と尊敬をもつことが、さまざまな人や集団からなりたつ社会をうまく行かせるためにいることだ。

 日本の国でいうと、日本の国を愛するというだけでは、自己保存によるだけであって、他との対立が引きおこされることがしばしばある。自己保存によるだけだと、他への愛や尊敬をもつことが保証されない。他を憎悪してしまうことがおきかねない。

 日本の政治の政党でいうと、与党である自由民主党は、自分たちの党のためという自己保存によるだけになっているように見うけられる。それで、他の党である野党や反対勢力のことを軽べつしたり憎悪したりしている。

 自他がある中で、たんに自分たちだけをよしとするのなら、自己保存をとるだけにとどまる。自と他との相互関連を見ることがないと、自己保存の域から出ることができづらく、それを乗り越えづらい。

 日本はよいとか、自民党はよいというだけだと、自己保存をとるだけであって、それだと社会の中にある(または国どうしの)矛盾や対立にまともに向かい合うことにつながらず、全体の益が損なわれがちとなる。

 自他がある中で、自と他が固定化してしまうと、自己保存の域にとどまりつづけることになりがちだ。関係性が固定化しすぎないようにして、流動化させるようにすれば、視点を転換することにつなげられる。関係性をくみ入れて、硬化させるのではなくて、軟化させるようにして行く。

 肝心なことは、自他がある中で、ただ自を愛するということにあるのだとは言えそうにない。自虐になれというのではないが、自と他の対立や矛盾とまともに向き合うようにして、どのように対立や矛盾を片づけて行くのかが問われる。

 対立や矛盾を何とかするためには、自を愛する自己保存の域から出ることがあると益になる。他への愛と尊重をもつようにして、軽べつや憎悪を減らすようにして、よりよい解を探る。まちがった方向に進んで行ってしまわないためには、自だけではなくて、他の立ち場にも視点を移動させてみるのは手だろう。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『倫理学を学ぶ人のために』宇都宮芳明(よしあき) 熊野純彦(くまのすみひこ)編