アメリカは、日本の国をどう思っているのだろうか―日本をどう見なしているのだろうか

 アメリカと日本との国どうしの関係は、それほどしっかりとしたものなのだろうか。それほど確かなものなのだろうか。

 アメリカから日本への方向を見てみると、アメリカは必ずしも日本にたいして温かいだけだとは言えそうにない。そうかといって、日本に冷ややかなだけだとも言えそうにない。温かいだけではなくて、冷ややかなだけでもなくて、その二つがともにある。両義性や両価性(ambivalence)がある。

 日本からアメリカへの方向を見てみると、アメリカに温かいだけで、冷たいところがない。アメリカに冷たくしたら、アメリカから見放されてしまう。日本の国の政治では、親米でないと、日本の国の中で上の地位に行きづらい。親米だと、上の地位に行きやすく、反米だと、それができづらいのが日本の国の政治だ。

 アメリカと日本との関係を、恋愛で言えるとすると、両思いであるよりは、片思いとなっている。日本がアメリカにたいして片思いをしているが、両思いにはなっていない。アメリカは日本にたいしてそっけないところがあり、冷たいところがある。

 アメリカは大国であり、日本のことばかりをかまっているわけには行かないのがありそうだ。アメリカの中で、日本に関心がある人は、それほど多くはないという。かつてといまの時系列で見てみると、かつてよりも、いまのほうが、アメリカにおいてより日本への関心は低くなっていて、関心がうすまっている。

 アメリカがもつ日本への関心は、かつてであれば、日本は経済で力があったから、まだ日本への関心が少しはあった。かつてとはちがい、いまは日本の経済は力を失ったところがあるので、かつてよりもいまは日本への関心が低くなっているという。そのいっぽうで、中国への関心は高くなっているだろう。中国は大国であり、経済の力が高まっている。

 日本が経済で力を持っていたかつてにおいては、アメリカは日本のことを批判していた。日本への批判(Japan bashing)だ。それがいまでは、日本のことをす通りしているしまつである。日本の無視(Japan nothing、Japan passing)だ。もはや批判すらされなくなったのである。

 すべての恋愛は基本として片思いであるのだと、画家の岡本太郎氏は言っていた。それでいえば、アメリカと日本との関係では、アメリカは日本をそれほどには思っていないが、日本はアメリカのことを強く思っている。アメリカは日本にそれほど愛がないが、日本はアメリカへの愛を強くもっている。日本はアメリカから見放されまいと必死だ。

 愛とは、関心であり、また利他だと言える。アメリカは、日本にたいしてそれほど愛を持ってはいないのは、日本への関心がそれほど高くはなく、低くなっていて、うすまっているのがあるためだ。日本よりも中国への関心が高くなっていて、したがってアメリカは日本よりも中国を愛していると言えなくもない。

 アメリカは、日本にたいして利他の気持ちを持ってはいないだろう。日本への愛はとくにない。(利他のところがまったくないわけではないが)利他ではなくて利己によるのがアメリカだ。日本はアメリカに愛を持っているから、アメリカにたいする利他であるのがそれなりにありそうだ。アメリカの益になるように日本は行動する。日本の益になるようにするのであるよりも、アメリカの益になるようにすることが、日本の国の政治では行なわれている。

 アメリカがもつ日本への愛は、それほどあるとは言えそうににない。愛はあまりなく、それにくわえてアメリカは日本を尊敬していなくて軽べつしているところがある。日本を軽べつしているふしがうかがえる。日本は国としての主体性がないから、アメリカから軽べつされてもしかたがない。アメリカが悪いとは言い切れない。

 ただたんによしとするだけではなくて、アメリカのことを批判できるとするのであれば、もっと日本のことを愛するようにして、日本を尊敬するようにするべきだろう。アメリカは、日本への愛が足りず、尊敬もない。日本の国は、そのことに気がつくべきではないだろうか。愛がなくて、尊敬もされていないきびしい現実を直視するべきだろう。それをしないで、ただアメリカに従属しつづけていって、親米であるだけでは、あまり意味はなさそうだ。

 参照文献 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『家族はなぜうまくいかないのか 論理的思考で考える』中島隆信 『ヘンでいい。 「心の病」の患者学』斎藤学(さとる) 栗原誠子 『倫理学を学ぶ人のために』宇都宮芳明(よしあき)、熊野純彦(くまのすみひこ)編