反社会的勢力という記号表現(シニフィアン)とその記号内容(シニフィエ)―修辞による意味のあいまい化

 反社会的勢力が何かは、定義づけができづらい。政府はそう言っている。

 反社会的勢力が何かは、その時々の社会の情勢によって変わってくる。限定または統一した定義は困難だという。

 政府の言っていることは、反社会的勢力というのを、修辞化しているように映る。反社会的勢力ということの意味をあいまい化してぼやけさせている。これは修辞学で言われる、多義またはあいまいによる虚偽に当たると見てよいだろう。

 反社会と言っているくらいなのだから、ふつうの社会で許容されているものとはちがうということをさしているものだろう。反というところが、しるしつきのものとなっている。しるしつきというのは、特殊なものに用いられるもので、たとえば非国民というのがある。国民というのはしるしがついていないが、非国民という言い方にはしるしがついていて、国民は無徴(無標)だが、非国民は有徴(有標)だ。

 肯定の意味あいか否定の意味あいかに大べつすれば、反社会的勢力というのは、肯定の意味あいを持っているとは見なしづらい。否定の意味あいを持ったものだろう。大きく見ればそうであって、そこから意味をしぼって行けばよいのではないだろうか。

 反社会的勢力という記号表現があるのだから、その最大公約数となる記号内容がはっきりしないというのは、極端に言うと、人それぞれでぜんぜん使い方がちがうということとなるし、てんでんにばらばらな使い方がされているありさまだ。意味論としては、反社会的勢力というのがいったいどういうことをさしているのかが分からなければ、それを用いた文(命題)の真偽もよくわからないことになってくる。

 反社会的勢力というのがどういう定義なのかというのは、言い換えてみる手が用いられる。かんたんな言い方に言い換えられれば、うまく定義づけができていることを示す。たとえば、社会の中でこれは許されるだろうとされる許容範囲の中におさまらないで、その外にあることをしている勢力をさす、なんていうふうに言えるかもしれない。できるだけかんたんな言葉に言い換えてみて、敷えんしてみたり、置き換えてみたりしたら、定義がはっきりしてきてわかりやすくなる。

 参照文献 『ダメ情報の見分けかた メディアと幸福につきあうために』荻上チキ 飯田泰之 鈴木謙介 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『本当にわかる論理学』三浦俊彦