不正選挙説と、その説への懐疑―その前の段階のこととして、選挙のあり方や、政治をとり巻く状況のさまざまな問題点の存在

 日本の国の政治の選挙では、不正が行なわれているおそれが高い。選挙をになうのはムサシというところのようなのだが、そこが不正をしているのだと見られている。

 はたして、ほんとうに日本の国政の選挙では、選挙の不正が行なわれているのだろうか。

 それについては、選挙の不正が行なわれているというはっきりとした証拠となる事実がないかぎりは、確かなことだとは言えそうにはない。確かに不正が行なわれているとは言えず、その可能性がある(なくはない)というのにとどまる。必然ということで断定したことは言えそうにはない。

 選挙で不正が行なわれているというのは、そうした証拠となる事実が確かにあるとは言えないので、信頼性が十分にあるとは見なせず、主張の説得力はそう高いものではない。ただし、ほんとうは選挙で不正が行なわれているというおそれは完全には払しょくすることはできないので、もしかしたら不正が行なわれているかもしれないのはある。

 選挙の不正というのは、いちおう仮説としてはありえるかもしれない。ただ、仮説としてはありえるかもしれないとはいっても、慎重に検証されないとならないし、あくまでも一つの視点というのにすぎないだろうし、たしかに実証(裏づけ)されるものかは定かではない。

 仮説というのには白い仮説と黒い仮説があるという。完全に白い仮説つまり完全に正しい説というのはなかなかあるものではない。たいていはどこかに黒いところつまりまちがいや誤りがあるものだ。多くは灰色のものであって、白と黒の度合いのちがいとなる。みんながうなずくほどのはっきりとした確かな証拠となる事実があるのであれば別だが、そうではないのであれば、どこかしらに何らかの形で黒いところがあることは避けられない。

 選挙の不正というよりは、むしろその前の段階におかしいところがあるのではないだろうか。日本の選挙では、色々とおかしいところがあることがさし示されている。まさにちょうど(just)というほどにはきちんとしたことが行なわれているのではない。まさにちょうどつまり just ではなくて、ずれがあることから、不正(justice ではない)が疑われることにつながるのだ。公職選挙法の決まり一つをとってみても、いまの情報技術が発達した時代にぴったりと合っているとは言いがたい。

 日本の選挙における色々にある問題点の一つとして、世襲制の問題がある。日本では(とくに与党に)世襲の議員が多い。これは世襲に有利な選挙のあり方になっているためである。閉じたあり方になっている。それを改めて、開かれたあり方になるようにして、門戸が開かれるようであればよい。それで多様な民意をすくい取るようにするのは一つの手だ。

 日本では小選挙区制と比例代表制がとられているが、小選挙区制は死に票が多く、民意をとり落としやすいと言われている。これは二大政党制をつくり出すものであって、一位となる候補者のほかの、二位以下の候補者に入れられた票は生かされることがない。一位となる者がぜんぶを持って行くという仕組みになっているために、一つの擬制(フィクション)であると言われている。必ずしも現実に即したものとは言えないから、不正選挙が疑われてくるもとになるとおしはかれる。

 ふさわしい選挙のあり方というのは、なかなかできづらいものだ。というのも、それにじっさいにたずさわるのが、選挙で選ばれた人間たち(与党の政治家たち)だからだ。選挙で選ばれた人間たちは、まさに自分たちが選ばれることになった選挙のあり方をいじりたくないという心理がはたらく。自分たちにとって不利になるからだ。国益というよりは、自分たちの益をとることになる。

 経済学で言われる、動機づけの適合性に合うことしかやらず、たとえ国益になることであっても自分たちに不利や損になることはしたがらない。それが実情だろう。それでいつまで経ってもなかなかよいあり方に改まりづらいことになる。

 選挙で選ばれた者つまり勝った者ではなくて、選ばれていない者つまり負けた者からの、問題を発見する視点(逆説による視点)が必要だ。選挙で勝つというのは、数の力をもつことだが、これは多数決による議決にはつながっても、問題の発見には必ずしもつながらず、むしろ問題の隠ぺいにはたらくことが少なくない。

 勝った者ではなくて負けた者をとり立てよと言うと、議会の否定になったり、価値の反転(ルサンチマン)になったりするように映るかもしれない。その点はあるかもしれないが、数の力というのには危ないところがあるのは無視できない。数の力によりすぎることで、かえって議会での議論が有名無実化して、形骸化することにつながり、議会の否定になりかねない。なので、(勝った者ではなくて)負けた者をとり立てよというか、定量(数)によりすぎないようにして、定性つまり質や多元性を大事にすることがいる。

 参照文献 『Think 疑え!』ガイ・P・ハリソン 松本剛史訳 『世襲議員 構造と問題点』稲井田茂 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『ダメ情報の見分けかた メディアと幸福につきあうために』荻上チキ 飯田泰之 鈴木謙介 『政治改革』山口二郎 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ)