一部の野党の議員が言っている、消費税を下げたり廃止したりするという政策の議論には、個人的には必ずしもうなずけそうにはない

 消費税を下げることや廃止することをかかげる野党の議員がいる。それをかかげるのは、政策の議論としてはどうなのだろうか。疑問に思えるところがある。

 消費税を下げるのや廃止するのを政策としてかかげるのは、手段が目的化してしまっているところがあるのではないだろうか。手段と目的が転倒して、自己目的化しているとすると、のぞましいこととは言えそうにない。

 目的と手段の二つは、どういう目的を目ざしていて、そのためにどういう手段をとるのかを見て行くことがいる。絶対の目的とか、絶対の手段ということにはなりづらい。あるていどの柔軟性があることがいる。

 目的は英語では end と言い、手段は means と言うのだという。目的としてののぞましさと、手段としてののぞましさは相いれない。そこで、互いを折り合わせることがいるようになる。

 消費税を上げるとか下げるとか廃止するとかということだと、消費税に焦点が当たりすぎてしまう。焦点が当たりすぎてしまうのを和らげるようにして、現象や問題に焦点を当てて見るようにする。

 現象や問題となることがあって、それがどのような原因や要因によっているのかを探って行って、そこで見つかった原因や要因にたいして手を打つ。手を打ってみてうまく行かなかったら、修正をするようにして、別の手を打つ。

 たとえば、社会の中で苦しんでいる弱者がいて、その弱者が苦しんでいるという現象において、その原因や要因が消費税(の高さ)にあるのであれば、消費税を下げたり廃止したりすることが、有効な手となる。

 社会の中で苦しんでいる弱者がいるとすると、その弱者は消費税によってだけ苦しんでいるのだろうか。そうではなくて、ほかの色々なことがもとになっていると見たほうが現実的なのではないだろうか。人によって何がもとになっているのかはちがうかもしれないから、個別にもととなっていることを見て行って、手を打つことがいるものではあるだろうが。人によって、どういったことが苦しみをまねいているかがちがう。人をとり巻く状況はそれぞれにちがうからだ。

 たとえとして持ち出したことがかなり限定されてしまってはいるが、社会の中で苦しんでいる弱者がいるとすると、その人を救うために、消費税を下げたり廃止したりするという手は、十分条件となるとは言いがたいし、必要条件としてもその有効性には疑問符がつく。そこまで有効性が高いかどうかは定かとは言えそうにない。

 消費税が下がったり廃止されたりすれば、多くの庶民にとっては助かることであるのにはちがいがないだろうけど、あまり消費税ということに強く焦点を当てすぎないようにして、どんな問題や現象があって、それの原因や要因は何かを探って行って、それで見つかった原因や要因にたいして手を打って行く、というふうにしたほうが、社会の問題が片づきやすいのではないだろうか。

 消費税のことについては、大事ではないというのではないだろうけど、最重要なものだとか、もっとも優先順位が高いものだとかとまでは言えないところがあって、消費税ではないそれ以外のさまざまなことを色々と見て行かないとならないし、消費税そのものについても色々な角度からさまざまに見て行かないとならないものだと見なせる。消費税だけが単一の原因や要因となって、それで正や負の結果がもたらされるとはいちがいには言えそうにない。そこについては、多数の原因や要因があって、多数の結果がある、というふうに複数化できるところがある。

 参照文献 『本質を見通す一〇〇の講義』森博嗣(ひろし) 『考える技術』大前研一 『正しく考えるために』岩崎武雄 『現代哲学事典』山崎正一 市川浩