テレビ番組の議論でおきたという出演者どうしのいさかい―テレビ番組はあるていど以上の水準をもった議論をするのにはあまり向いていない

 テレビ番組の中で、日本人の元政治家のタレントと韓国系の人とが、言い争いになっていた。日本人のタレントは、韓国系の出演者が、番組の中で自分だけたくさんしゃべりすぎていたのがよくないとか、議論における礼儀や決まりを破ったとかと弁明していた。

 テレビ番組をくわしく見ていないので、日本人のタレントと韓国系の人とのどちらが悪いのかははっきりとはわからないが、そもそもテレビ番組は中身のある議論をするのにはそれほど向いていない。それに不向きなものがテレビ番組だということが言えるから、出演者が悪いというよりは構造の問題だ。

 テレビ番組において議論をするとはいっても、議論の中身を深めて行くというふうにはなりづらい。テレビ番組の中では、長い発言よりも言い切るような短い発言のほうが受けるし、分かりづらいものよりも分かりやすいもののほうが受ける。複雑なものを単純化したほうがテレビの受け手に受け入れられやすいのだ。

 テレビ番組には時間や費用の制約がかかっている。その制約条件が大きくものを言うので、それを超えてまで議論の中身を深めようというふうにはなりづらい。きわめて限定された中でのやり取りに終わることが少なくない。

 テレビ番組の中で議論をするといっても、そもそもそのテレビ番組そのものが議論の中身を深めるのには基本として向いていないし、もしそうするにしても、あらかじめきちんと出演者どうしで議論の目的や決まりなどをすり合わせて共有していないとならない。

 番組の最中のことだけではなく、事前の用意などについて、十分に手間をかけているのではないだろうから、出演者どうしのあいだでもめごとがおきてもおかしくはない。それは、出演者が悪いというよりは(それもあるかもしれないが)、テレビ番組の構造の問題が小さくないので、出演者をとり巻く外の状況(報道の世界のあり方)にたいする批判や批評がいるのではないだろうか。報道が開かれているようにして、報道の自由をもっと高めたほうがよいのがある。

 参照文献 『議論のレッスン』福澤一吉(かずよし)