対立としての政治と、政治としての財政―単純化と複雑化

 増税をする。それは財務省による陰謀だ。そう言われるのがある。これははたして正しいことなのだろうか。

 大きく分けると、財務省に見られるような緊縮財政(消極財政)と、税金を引き下げたり国の財政の支出を増やしたりする積極財政がある。

 財務省に見られるような緊縮財政は、緊縮するとはいえ、そのいっぽうで財政規律をしっかりと守ろうとすることだ。かたや積極財政は、放漫財政となってしまうものだ。放漫財政というのは、お金をいたずらに無駄に使ってしまうことをさす。

 緊縮財政がよいのか、それとも積極財政がよいのかというのは、そもそも財政とは何かということを改めて見られる。財政とは、政治についてを、お金の面からとらえたものだとされる。そうすると、財政とは、お金についてのことではあるが、政治であるというふうにとらえられる。

 財政は政治だということであれば、その政治というのは対立によっているものだということができる。対立がなければ政治はないということができて、それはまた政治である財政にも同じように言えることだろう。

 財政は政治なので、これが絶対に正しいというたった一つの答えがあるということにはなりづらい。そこには対立が避けがたくおきてくることになる。そのように、財政を政治ということでとらえることによって、そこには対立がおきるものだというふうにして見るのはどうだろうか。

 政治が単純なものではなくて複雑であることだとできるように、財政もまた政治なのだから、そうかんたんに単純化することはできず、複雑であることをまぬがれない。だから、財務省に見られる緊縮財政がまちがいなく絶対に悪いとは言い切れず、また積極財政が絶対に正しいのだとも言い切れないのではないだろうか。

 参照文献 『財政のしくみがわかる本』神野(じんの)直彦 『政治の見方』岩崎正洋 西岡晋(すすむ) 山本達也