叱責と懐疑と反省(対話)

 チコちゃんに叱られるという番組が NHK にはある。叱るというのとは別に、チコちゃんが疑うとか、チコちゃんが反省するというのがあったらよいのではないだろうか。

 チコちゃんが疑うということで、色々なことにたいして質問や問いかけを投げかけるようにする。いまの日本にある大手の報道機関(の多く)において足りていないことの一つとして質問力がある。質問力がないので、時の政権の言っていることをそのままうのみにしてたれ流す、大本営発表に近い報道が行なわれている。報道機関が受動的なのだ。

 叱るというのは一方的なものだが、反省(自己内対話)や対話というのなら双方向になることが見こめる。これからの日本をよりよいものにするためには、対話による双方向のやり取りがいるが、とくに政治でそれが欠けてしまっているのはいなめない。

 叱るとか、(叱ることの逆である)ほめるというのは、ものさしを当てはめて評価づけするものだが、そのものさしそのものについてを、たまには改めて見直すことがいる。ものさしが狂っていると、的はずれに叱ったりほめたりすることになってしまう。

 参照文献 『質問する力』大前研一 『こんなに面白い西洋哲学[思想と歴史]』竹田純郎(たけだすみお)監修 大城信哉(おおしろしんや) 『ご臨終メディア 質問しないマスコミと一人で考えない日本人』森達也 森巣博(もりすひろし)