チコちゃんが叱ることと構造主義―構造のにない手としての主体

 吉本興業のお笑い芸人が、ラジオ番組で適していないことを言った。

 お笑い芸人は、新型コロナウイルスへの感染が広がっている中で、風俗業につく女性に関わるまずい発言をしたとされる。そこで、お笑い芸人が出演していた NHK のテレビ番組の「チコちゃんに叱られる!」でチコちゃんにお笑い芸人が叱られたらよいのではないかということが言われていた。

 チコちゃんははたしてお笑い芸人のことを叱るのだろうか。叱ることは必ずしものぞめそうにない。これを構造主義から見てみられるとすると、チコちゃんは構造のにない手としてある。構造の効果としてある。構造が先立っている。なので、中立の視点からものごとを叱るのではなくて、偏りがあることが避けられない。

 チコちゃんはもっと日本の政治の中心や、政治の中心を批判しない NHK の報道などをどんどん叱ったらよい。それをすることがのぞみづらいのは、チコちゃんが構造のにない手としてあるからであり、中立であるのではなくて偏りがあることによっている。チコちゃんが何かを叱ることは、別の何かを(見逃して)叱らないことでもあると言えるだろう。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司