適合と不適合と、とり巻く状況のおかしさ

 いまの世の中のあり方と適合する。それを大きく分けると、適合できるかそれとも不適合かがある。

 度合いとしては、少し適合できるのから、すごく適合できるのまである。高い適合ができるのは、それだけ優秀だということで、高い価値をもつ。

 世の中への適合というものさしで見ると、人間を物や機械であるかのように見なすことにつながる。人間が機械の部品のようにあつかわれる。不適合な部品はとり除けられて、高い適合の部品はとり立てられるのだ。

 不適合なのは悪くて、適合するほどよいのかというと、そうとは言い切れそうにない。不適合というのは、必ずしも悪いとは言えず、上位(メタ)の適合だというふうにとらえることがなりたつ。

 上位または高次の適合というのは、いまの適合(合理性)のあり方を破るものだ。いまの世の中におかしいところが少なからずあるのであれば、そこに適合するのではなくて、世の中にある色々なおかしいところを改めることが有益だ。そうすることによって、新しい適合のあり方が探れる。

 いまの世の中に適合するのは、それが上位や高次のあり方をさまたげることになるおそれがある。低次にとどまることになることがある。それを見直してみることは、あってよいことだろう。

 参照文献 『近代性の構造』今村仁司 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『ヘンでいい。 「心の病」の患者学』斎藤学(さとる) 栗原誠子