漢字の読みまちがえと、(読みまちがえたことについての)歴史修正主義

 末永くお健やかであらせられますことを願っていません。首相はこう読みまちがえた。この読みまちがえは、天皇陛下の面前でのものだった。

 なぜ読みまちがえたのかというと、正しくはねがってやみませんとなっているのが、原稿にひらがなではなくて漢字で已ませんと書いてあったからだという。もし漢字ではなくてひらがなで書いてあったら、首相は読みまちがえなくてすんだことだろう。

 たとえ原稿にひらがなでやみませんとは書いていなくても、送りがなのふり方もある。已ませんではなくて、已みませんとなっていたら(ひらがなのミが入っていたら)、首相は読みまちがえを避けられたかもしれない。

 日本語は最後に動詞が来る構造だから、そのいちばん最後に来る動詞をまちがえてしまうと、それまで言っていたことの意味がひっくり返ってしまう。肝心かなめのところを首相は読みまちがえてしまったのだ。これがもし英語などであったら、(首相が読みまちがえたことをもとにすると)私は願っていません、と来て、そのあとにいったい何を願っていないのかが来る構造だ。

 首相は漢字を読みまちがえたのにも関わらず、それをあたかもなかったことであるかのようにして、動画を削除しているのだという。これはいさぎよくないものだ。このことについて、右翼団体から批判が投げかけられている。

 漢字を読みまちがえたのは、一見するとささいなことであると受けとれるのはあるが、そうであればこそ、そのまちがいを認めることがあってよいのはあるだろう。首相が読みまちがえたのだから、(ささいなことではあるにせよ)その非は首相にあるはずだし、またなぜ読みまちがえたのかについて、さまざまな要因がさぐれるはずだ。