ものごとが進みさえせず、やりはじめられさえしないのよりは、前に進めてやりはじめるほうがよいことなのだとは必ずしも言うことはできない

 ものごとを進める。やりはじめる。何のためにそうするのかというと、問題や課題を何とかするためだ。そこで気をつけないとならないのは、何もしないのも、消極的ではあるが、一つの手となることだ。

 何もしないのが一つの手になるのは、不確実さがあるためだ。ものごとを進めて、やりはじめることによって、かえって不利益や損になることがある。不利益や損がおきるのは、不確実さによってもくろみがはずれてしまうことによる。

 ものごとを何とかするために、行動をするわけだが、それによってまちがいなく何とかなるとは言えず、ちがう結果になることがある。何としてでもよい結果を出す意気ごみをもっていたとしても、その意気ごみがあるだけでは何ともならないことがある。予言の自己成就となれば、のぞむ結果が得られるが、その反対の予言の自己崩壊となることがあるのだ。

 ものごとが進みさえせず、はじめられてさえいなかった。それを前に進めてやりはじめた。そのことがよいことかというと、必ずしもそうとは言えそうにない。問題や課題というのは、その内容しだいによっては、前に進めず、やりはじめないほうがよいものもある。

 問題や課題を何とかする手だて(案)には、利益だけではなく欠点がある。高い利益が見こめるということは、それだけ危険性もまた高い。ハイリスク・ハイリターンということだ。このさいの危険性の高さ(ハイリスク)は、一つのおこりえる仮説ということだ。このおこりえる危険性がある仮説にたいして、まえもって何も備えをしないと、なおのこと危険だ。

 前に進めてやりはじめるのではなく、何もしないで現状を保つというのは、利益は低いが危険性もまた少ないことがあるので、ローリスク・ローリターンとなる。高い利益が得られなくても、危険性が少ないのであれば、不利益や損となることはあまりないので、そちらのほうが合理的だということがある。

 問題や課題にたいして、何か手だてを行なうさいに、その利益(作用)だけではなくて、危険性(副作用)もまたある。危険性である副作用が大きいのであれば、かえって不利益や損をこうむることになる。かたや、何もせずに現状を保つことが、利益(作用)が小さく危険性(副作用)も小さければ、合理的な手だての一つだ。

 ものごとを何とかするために、何か手だてとなるものを打つ。前に進めて、やりはじめる。そのさいに気をつけないとならないのは、前に進めてやりはじめることが、必ずしもよい結果をもたらすとはかぎらないことだ。前に進めてやりはじめることが、必然としてよい結果をもたらすとは言えず、可能性として不利益や損となることがある。

 前に進めて、やりはじめることにともなう不利益や損となる可能性が、まえもって十分にくみ入れられていないのであれば、どんどん前につき進んでいってしまいかねない。そのつき進む道に、不利益や損となる穴が空いていて、その穴におおいがしてあるとすると、そのおおいをとり外して、穴が空いていることに注意をうながすことがいる。

 参照文献 『新版 ダメな議論』飯田泰之 『論理的に考えること』山下正男 『論理が伝わる 世界標準の「議論の技術」 Win-Win へと導く五つの技法』倉島保美 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司 『逆説の法則』西成活裕